>>790
いわゆる仏性の問題について、大乗仏教では大きく如来蔵縁起説と阿頼耶識縁起説というのがあるそうです。

勿論、仏教では空を説きますので常・一・主宰なる実体としての仏性というのは認めてはおりませんが、前者はその根本的なところは清浄で、煩悩は客塵煩悩と言ってあたかも鏡を曇らせる塵のように外からやって来るものとして見ているのに対し、阿頼耶識縁起説では如来像縁起説と違って、その根本的なところは清浄でも不浄でもなくノーマルな状態とされております。

そのノーマルである阿頼耶識を仏と同じ大円鏡智に転換するというのが法相唯識の基本的な修道論となるようです。

その方法については・・・
非常に長くなるので割愛させて頂きますが、要するに阿頼耶識中に貯蔵されている有漏の種子、則ち煩悩性を帯びた種子を浄化し無漏の種子に転換すると云うことになります。