*武士の魂を預けた?

「祖父は、刀を警官に預けて、警察官のだれかが持っていた十手を借りたそうです。」
(『一九九九年カルマと霊障からの脱出』61-62頁)

この一文が、祖父が剣術の達人などではない証拠です。
信者さんたちは上記を読んで変だと思いませんか。
武士の魂である刀をわざわざ警官に預けたという点です。
警官といっても十手を持っていたことを見てもわかるように、
祖父よりも下級の出身で、下手すれば元岡っ引きです。
これから戦いに行くのに「武士の魂」を預けて、その下級の者の道具で
刀を持った相手に挑むなど、おかしいというよりも、武士としてありえない。

祖父は仇討ちの相手に刀を見せて、自分が武士の出身であることを強調し、
しかも自分が丸腰なら相手は切りつけたりしないだろうと、一か八かのカケに出た。
簡単に言えばハッタリです。
切れる刀は、死刑になった遺体を重ねて、何体切れるかという
試し切りをしたという話があるほどで、十手で戦えるものではありません。
彼は十手で戦ったのではなく、刀を捨てて丸腰になった。
相手は祖父を簡単に斬り殺すことができたが、丸腰の武士を
切ったとなれば、武士の名折れです。
相手がゆっくりとお茶を飲んでいたのは、仇討ちは済んで、
武士としての面子を保つことができた喜びと、死罪を覚悟の上の仇討ちで、
死を恐れる気持ちもなく、心に余裕があったからです。
(これを桐山さんは理解できないから、「大胆不敵」などと指摘している。)
この上、丸腰の武士を切るなど、自分の武士としての誇りを傷つけるような
ことはしたくないと思っていたはずです。
それを祖父は利用して、血を一滴も流さずに、見事に事件を解決した。