>676 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2021/12/11 12:26:37>653JBL ◆JBLfMwCXhY 2021/12/10(金) 08:21:35.70ID:x5iWP/hz

>『「止観」の源流としての阿含仏教』(1998年、86頁〜)で安那般那念経を見てください。

>釈尊の教法は阿含経に残されている文言がすべて、秘伝はありません。
>そこで、JBLさんに考えてほしいのだが、安那般那念経には呼吸は出てくるのに、
釈尊が呼吸法の説明をしないのはどうしてだと思いますか?
>他の信者さんたちも安那般那念経の本文のみを読んで考えてください。

JBLさんに代わって質問します。
深山さんは『輪廻転生瞑想法U』を読んでいないようですね。
多分本自体を持っていないのでしょう。
いつも話題が古いです。
この本の中で開祖はこう述べている。
「この経典の題名をよく見るとよい。
「安那般那経」ではない。
「安那般那念経」なのである。
「念」は「意念」をいっているのである。」
(『輪廻転生瞑想法U』平河出版社、103頁)

開祖は「念」に注目しているのです。
「安那般那経」だったら呼吸法になってしまうが、
「安那般那念経」なのです。
念の一字が入ることで意味が変わってくる。
ここに気付くなんて、流石に開祖は格が違います。
「安那般那」の呼吸で念(意念)を行らせるというのが開祖の解釈です。
あなたが経典をどう解釈しようが自由だが、それではタイトルにある「念」についてはどうですか。
阿含経に残されている文言がすべてだと言うのだから、タイトルも無視出来ません。
是非あなたの話を聞きたいです。