真の神は自分のうちにある、内在する神、

という考え方は、真理だと思いますがとても難しいです。

キリスト教の外典にはこのような教えが多いですね。

トマスによる福音書にもありました。

難しいがゆえに理解できず、全部、異端として

排除されたのだと思います。

真の神が内在するのであれば、それを磨き出す

修行論が絶対に必要になってきます。

そうなってくると、大乗的な布教はほぼ不可能なんですね。