事のついでに疑義を投げかけてみましょうかね。

「分かるって一体どういう事なのでしょう?」

勿論、それには分析知と直観知があり、宗教的体験は後者に重きが置かれてるとかは承知の上です。

で、ソシュールが「言語とは、差異(区別)のシステムである(分節である)」というよりも1,400年近くも前から仏教では陳那(ディクナーガ)がアポーハ説を立てて「他の否定」って喝破してるんです。