>>506
そもそも「空」ははサンスクリット語のシューンヤで、「期待される何かを欠いた」状態を示すのだ
「空」は言葉で表せない
「空の境地」が、欠いていく状態

欠いてるというなら、悟ったという事なのだ

「欠いてる」のに悟ってないとは意味不明という事なのだ

また、存在論と関係論をごちゃ混ぜにするのは屁理屈なのだ

集合論で考えるだけで、わかる事なのだ

龍樹は、小乗を批判するにあたり、存在しないのではなく、本質が欠けていて実体が無いと縁起を説いたわけで