●「法滅」と対になって出てくる「授記」

「授記」が、般若経の幾つかの初期の版では、「法滅」という、ブッダ没後500年後くらいに、ブッダの「正法」が滅びるとの表現が、登場することと、関連づけられて考える論者もいる。例えば渡辺章悟は『大乗仏教の誕生』(春秋社、2011年)にて、

まず、初期の阿含経などには「法滅」なる考え方が、現れないことに注意する。

対して大乗経典は、建前は「仏説」なのだが、事実は後代の成立なので「仏滅後500年」といった言葉は、必ずブッダの予言のかたちをとる。

この「仏滅後500年」の定型句は、諸々の「般若経」類本(『金剛般若経』、『八十頌般若経』等)、『法華経』などに登場する。

「法滅」後の、仏教の存続を支えるのが、「法滅」時の時点で、菩薩になっているが、実は彼もしくは彼女は、既に500年前に釈尊によって、≪ 授 記 ≫を与えられた行者の転生した存在である、という理屈になる。

このことより、最初の出発点の釈迦の前世に(500年前に?)≪ 授 記 ≫を授ける仏が必要となる。これが「燃灯佛」である。

としている。