実は、自論は使徒に当てはまらないだろうと思っている。
働き人は報酬を受けるのは当然であるとイエスが言っているので
使徒は職業だろう。だが、割に合うだろうか。
尊敬を受けるだろうが、それは人からのものを求めないキリスト教においては
あまり意味がないし、当時としては危険すぎる。
生活水準は庶民よりも低かっただろうし。
職業とは職=役割・社会的使命 業=生活の糧 を合わせた言葉であり、
職>>>>>業 なのだろう。