おはようございます。

>>3 ロゼさん。

>救われる方法?

何から救われるのですか?
ある人が、救われたと思う時、○○から救われたいと願っているからですよね。
                  
>イエス・キリストを私たちの罪の身代わりとして死なれ

罪に悩ませられている自分がいて、
その自分の罪で死ぬべきあなたの身代わりにイエスキリストが、
あなたの罪を被って死なれた。

溺れている人を助け、力尽きて自分が溺れた。
ありますね。人を助けるのに、自分が犠牲になるということが。
事故や東北震災の津波の話だとか、でも聞きますね。
庇って、自分が犠牲になる。計算のない愛の働きです。
これは、人の罪を庇い、身代わりになったのではありません。
本人も水に溺れて息が出来ない、このままでは死ぬという
自覚があります。
罪と関係はありません。

目に見えない罪に溺れ苦しんでいるとして、その溺れから助けるのは、
目に見えない罪を身代わりになる。
身代わりになった他者が自分の目に見える体を処刑し死んで助ける。

目に見えない事ですから、人の罪に溺れているのだという、自覚の領域の
話ですね。

自分達の目に見えない罪を目に見える罪のない他者の体の処刑を身代わりと呼ぶ
風習は、傷のない赤ちゃん動物の処刑で自分の罪を背負わせて、いたのと
同じです。

どう思いますか?


             
>それだけや!