>>667
人間は、生まれた環境を相対で理解していく方法をとったのは、
取り巻く環境に対してそれが人間が生き延びる術だからなのでしょう。

暑い所、寒い所、乾燥した所、山、川、湖、海、大陸、島、牧草、森林、砂漠と
それぞれの術=知恵で生きて来たのでしょうし、インディアンと白人など
知恵のあり方に違いが出るのは、生きる術の違いなのでしょう。

ですから生死ということに、直面した人間ですが、生死観も民族によって違います、
世界観が違います。

生にありながらも、死を知っていますから、死ぬとどうなるかですね。
自然界に溶けるようにして、食物連鎖、大自然の大循環の中で他の生物の姿で
永遠性に参加する。

生死が双方向に行き来する、輪廻で永遠性に参加する。

死体をミイラ化させて、いつかのよみがえりで永遠性に参加する。

栄光の体をもち、永遠性に参加する。

要するに、死を知る(知恵)生き物である人間は、
嫌なんだ、死んだら終わりが。
この生にあって、まったく何もないという事を信じたくないし、
この生の為に、何かなければ、悲しいしい、困るのです。