>>317
>>322

 しかしながら、実際にはそうではありません。
実のところキリスト教徒は、最初の200年ぐらいはほとんど増えていません。
その後、3世紀になって急激に増えていきます。

では、なぜ3世紀に急激に増えたのか。それはもう話し出すと切りがありません。
ですが、その1つとして、当時は非常に社会的な不安が多い時代、
危機の時代であった、ということが確かにいえるでしょう。

 そういった不安の多い時代に、
イエスと使徒たちを描いた絵のようなものが地下墓所に多く残っています。

●キリスト教が迫害された理由とコンスタンティヌス帝による公認

 そうした中、コンスタンティヌス帝が313年のミラノ勅令で
キリスト教を信仰として公認するのです。しかし、それ以後100年以上にわたって混乱しました。コンスタンティヌスが公認したからといって、周りの人がそうすぐに認めるわけがなかったからです。

 これは非常に重要なことです。ローマ人はキリスト教徒を迫害したといわれますが、それはローマ人にとってある意味で当然のことです。私がローマ人だったら迫害すると思います。なぜならば、ローマ人の目から見ると、キリスト教の言っていることは、無神論者の言葉に聞こえるからです。キリスト教は、自分たちの神だけが正しいと言って、多神教の神々の全部を否定しているわけですから。

 ローマは多くの地域を占領していて、そこには多くの神々がいました。
ローマは、その神々を全て認めてきました。
「お前たちの神をお前たちがあがめるのは別に構わない」
という態度を取ってきたのです。

ところが、キリスト教はそれに対して、それぞれの神々を否定して、
自分たちの神だけが正しいと言ったのです。
ですから、その当時の人にすれば、
キリスト教徒は当然とんでもない人たちに見えた...

(本村凌二 東京大学名誉教授/文学博士
専門は古代ローマ史。
『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、
一連の業績にて地中海学会賞を受賞。
著作に『多神教と一神教』『愛欲のローマ史』『はじめて読む人のローマ史1200年』
『ローマ帝国 人物列伝』『競馬の世界史』 など多数。)