>>317
キリスト教徒が多数を占める国では、キリスト教徒の個別の人の考えが
どうであれ、キリスト教の国はとか、キリスト信徒はとか、キリスト教は
という、分類になります。

キリスト教を信仰、信条とする組織集団としての動向であり、
その見方は、個別性重視へと現在は変わりつつあるといいましても、
そのような実質的な動きと結果はあり、キリスト教の問題点、キリスト教批判として
出てくるのです。

そこを整理しておくことと、
他の宗教や思想も民族も人殺しをしているではないかと言われる方がいます。
キリスト教の問題に向き合わなくて、よそでもとかに
逸らすことのすり替えは、あの人もしているから、わたしもしてもよいという、
お粗末すぎる、態度です。
もし、神に倣う愛にあるクリスチャンであるのなら、キリスト教の信仰の
問題点の方に向かう方向になるはずです。
ご自分の信仰が嘘でなく、信仰心の成長を真面目に願っているのなら、
よそもしているから、などと言わないはずです。
よそもしている、には原因があるのでしょうが、
キリスト教徒としては、キリスト教はキリスト教の問題として、捉え、解析する
事を回避するために、よそも、を出すことは出来ないはずだと思います。