私Lapisは、
 直接的にイエスの処刑を命じた総督ポンテオ・ピラトには、
 責任は無いと思っている。

私がそう思慮している理由は、
聖書には「彼ピラトはその後に神罰を受けた」とする記述が存在しないからです。


確かにピラトはエルサレム地区の行政官として最高位にあり、
その意味からは、全ての責任は最終的には彼に帰属されます。
だから、もし仮に、イエス裁判の誤審を言うのであれば、
ピラトは責任を免れえない。

しかし有史以来、誤審で無実の人を処刑してしまった裁判官は、おそらくは数えきれないほど
いるでしょう。だからピラトの責任は、この範囲においてに限定されます。


聖書で言っている「救い主としてのイエスの殺害」事件は、
総督ピラトに圧力をかけていたユダヤ人のパリサイ派とサドカイ派。
ならびに、無分別にパリサイ派の扇動に乗っていたユダヤの大衆に、責任が有ります。


以上により、
キリスト教およびキリスト教会がピラトを悪者に仕立てあげているのは、筋違いなのです。
Lapis