>>449
1…一般的には、密教は仏教であるが、高野山HPは、
釈尊の仏教と、後代の密教では違う宗教であると認めているので
反論となっていません

2…「死後も存続して今も人々を涅槃へと誘う」のは君の願望であり
 客観的事実ではないので論理的な反証となりえていない

3…気づけなかったら、他者救済が不発に終わるのであれば、
 一切衆生救済と論理的に言えないので論理的に破綻している

4…「欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる」こそ救われる正機であるとする
宗派はない。逆に「本願誇り」と糾弾されているほどである。
悪人が正機たりうるのは、悪人という自覚をもって慙愧するからである

5…五比丘は苦行林修行者であるのでゆるゆるの仏教団の具足戒よりもつと厳格な
 戒律実践をしていたのであるから、あなたの無戒論は論理的に破綻している
 佐々木閑『インド仏教変移論 なぜ仏教は多様化したのか』8800円によると
 各部派の律を比較すると「少々の戒律の変更」は実際になされているが
 すべて具足戒を遵守している。日本にも鑑真などが命懸けで具足戒を伝え
 戒壇も建立されたが、日本大乗仏教が滅ぼしたのであるから釈尊に違背しているのである