【パスカルの賭け】宗教の教えが本物なら間違いなく救われるし嘘だとしても信じたからって損はしない
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悪魔をおどろおどろしいものと考えると
神を見失なう
悪魔を悪役を演じている人達と考えて
1人の悪役をやっつけるという風には考えない >>1
正しい
神が居た場合地獄に落ちることになったら
何十年も今の100倍の苦痛を与えられる
しかも、今感じている種類の苦痛が100倍になるんだ
だから今の苦痛から逃げられない
もし神が居なかったら地獄に落ちないので
問題ない
ということは、どっちも地獄に落ちない準備をすればいいだけ
これが平均的というか、最大公約数的と言うか
バランスがいい
神が居たら地獄に落ちない準備をすればあまりひどい地獄に落ちないし
いい所へ行ける可能性が増える
神が居なかったら地獄に落ちない準備をしてやっぱり地獄に行かない
天国にもいかないという事は、意識が消えるか、今のまま過ごすという事
良くも悪くもならない、問題なし
どっちも同じなのでいいんだ
だからこれ以外のことをしたら「こんなはずじゃなかった」という結果になりかねない
普通はこう考える このことを宗教信者の病気と言う人は
頭の病気を疑ったほうがいい
(実は、宗教否定のバイアスがかかっているので怒らないでw)
宗教とは関係なく
いいものと悪いものどっちが来るかわからないなら
悪いものを避ける準備をするという
普通の思考であって
宗教信者の病気と考える人は
ちょっと宗教否定の頭が凝り固まりすぎている
宗教信者だって普通の思考をすることがあるんだから
普段からバイアスをかけすぎないように行動しよう
それも地獄に対する態度と同じタイプの態度なんだよ
だから宗教信者だけ病気とするのは、頭が固まってしまってるんだ
誰が言ったかではなく、何を言ったかで考えるべし >>1
パスカル パンセ 233のところにそれがある。
まず、パスカルがそれについて何と言ってるかを明らかにする。
人は必ず死ぬが、死後、魂がどうなるかについて天国があり、そこへいけるのか
について理性は答えることは不可能だ。また、神がいるのかいないのかについても
理性は沈黙する。しかし、答はYES・NOのいずれかしかない。
だから、賭けをせざるをえない。
確率の期待値が無限大なら、それに賭けるべきだとパスカルは言う。
パスカル パンセ 中公文庫 161ページ
・・そして、賭けることを余儀なくされている場合に、無数の運のうち
で一つが君のものだという勝負で、もしも無限に幸福な無限の生命がも
うけられているのであるならば、君が三に対して一つの生命を賭けるこ
とを拒むのは、無分別ということになろう。ところが、ここでは、無限
に幸福な無限の生命がもうけられているのであり、勝つ運が一つである
のに対して負ける運は有限の数であり、君の賭けるものも有限なもので
ある。これでは、確率の計算など、全部いらなくなる。どこでも無限の
あるところ、そして勝つ運一つに対して負ける運が無限でない場合には
、ぐずぐずしないで、すべてを出すべきだ。 だが人類は猿の末裔であり、
地球は回っている。
意識についても、
物質的な説明が付けられようとしている。 聖書は古代のお伽噺の寄せ集め、幼稚で単純なお伽噺ばかり
アインシュタイン曰く 「信じていないものを実際に信じることは不可能である。
また神が全知全能であるならば偽装信仰は看破される。
さらにその神が信じていた神と違うどころか敵対関係の神であった場合、大きなリスクを負うこととなる」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています