【パスカルの賭け】宗教の教えが本物なら間違いなく救われるし嘘だとしても信じたからって損はしない
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>>1
ある神や仏を信じるとして
宗教団体に金や労働力さえ搾取されないようにすればまあ正しいんじゃね?
つまり宗教団体に所属せず自分の家で極力金も時間も使わずやる信心でok ただ独りよがりの間違った信仰信心になる可能性もないとは言えないので
最小限のテキスト代や学習代は必要かも知れない
それで何も無くてももともと、ラッキーがあったり心の平安につながるなら儲けもの
変なカルト教団で洗脳され人生をめちゃくちゃにされるよりはるかにリスクが低い 今ある宇宙や、銀河系、太陽、地球。物質と反物質、ダークマター、ダークエネルギー
とかこの宇宙のすべて、万有引力とか時間とか、なんでもかんで一切合切あるものすべて
が 何か理由があるか無いかはわからないが、今あって自分がたまたま今生きている。
その「わからない何か」はある。
その「わからない何か」があることを、僕はいつも思う。 宗教というのがキリスト教しかないのが暗黙の前提にあり、
この世界に宗教が一つのみだったら真であるが、
実際にはこの世界に宗教が複数あるので偽。 救われる=メンタルが安定する
という事であれば宗教は精神療法のひとつとして有効という事 変なカルト宗教や
宗教教団よりも
キリスト教の神学と考えるなら
考え方的には正しい >>6
パスカル パンセ 中公文庫
第九章 永続性 589
キリスト教が唯一の宗教ではないことについて。
このことはキリスト教が真の宗教でないことを信じさせる理由になるどころか、
かえって、それが真の宗教であることを知らせるものである。 >>9
ええ。キリスト教以外は全て悪魔によるものでしょう?
そんなのカルトと大差ない。 >>10
パスカル パンセ で悪魔という単語は見た事がない。
おまいは見たか? >>1
正しくない
神がいて 正しく導いているのであれば そうかもしれんが、 神は存在せず 悪魔が神を語っているとしたらどうだろう
神を信じていた人間は 騙されたことによってダブルでショックを受けるが、信じていなかった人間は シングルショックで済む
つまり神がいるという前提で 理論を組み立ててる段階で 破綻してるということ
人生において立て続けに良い事だとなかなか起きないが、 立て続けに悪いことならしょっちゅう起きるだろ
自分の周りに満ちているのは、神の愛ではなく悪魔の悪意であると 考えた方が自然である 悪魔をおどろおどろしいものと考えると
神を見失なう
悪魔を悪役を演じている人達と考えて
1人の悪役をやっつけるという風には考えない >>1
正しい
神が居た場合地獄に落ちることになったら
何十年も今の100倍の苦痛を与えられる
しかも、今感じている種類の苦痛が100倍になるんだ
だから今の苦痛から逃げられない
もし神が居なかったら地獄に落ちないので
問題ない
ということは、どっちも地獄に落ちない準備をすればいいだけ
これが平均的というか、最大公約数的と言うか
バランスがいい
神が居たら地獄に落ちない準備をすればあまりひどい地獄に落ちないし
いい所へ行ける可能性が増える
神が居なかったら地獄に落ちない準備をしてやっぱり地獄に行かない
天国にもいかないという事は、意識が消えるか、今のまま過ごすという事
良くも悪くもならない、問題なし
どっちも同じなのでいいんだ
だからこれ以外のことをしたら「こんなはずじゃなかった」という結果になりかねない
普通はこう考える このことを宗教信者の病気と言う人は
頭の病気を疑ったほうがいい
(実は、宗教否定のバイアスがかかっているので怒らないでw)
宗教とは関係なく
いいものと悪いものどっちが来るかわからないなら
悪いものを避ける準備をするという
普通の思考であって
宗教信者の病気と考える人は
ちょっと宗教否定の頭が凝り固まりすぎている
宗教信者だって普通の思考をすることがあるんだから
普段からバイアスをかけすぎないように行動しよう
それも地獄に対する態度と同じタイプの態度なんだよ
だから宗教信者だけ病気とするのは、頭が固まってしまってるんだ
誰が言ったかではなく、何を言ったかで考えるべし >>1
パスカル パンセ 233のところにそれがある。
まず、パスカルがそれについて何と言ってるかを明らかにする。
人は必ず死ぬが、死後、魂がどうなるかについて天国があり、そこへいけるのか
について理性は答えることは不可能だ。また、神がいるのかいないのかについても
理性は沈黙する。しかし、答はYES・NOのいずれかしかない。
だから、賭けをせざるをえない。
確率の期待値が無限大なら、それに賭けるべきだとパスカルは言う。
パスカル パンセ 中公文庫 161ページ
・・そして、賭けることを余儀なくされている場合に、無数の運のうち
で一つが君のものだという勝負で、もしも無限に幸福な無限の生命がも
うけられているのであるならば、君が三に対して一つの生命を賭けるこ
とを拒むのは、無分別ということになろう。ところが、ここでは、無限
に幸福な無限の生命がもうけられているのであり、勝つ運が一つである
のに対して負ける運は有限の数であり、君の賭けるものも有限なもので
ある。これでは、確率の計算など、全部いらなくなる。どこでも無限の
あるところ、そして勝つ運一つに対して負ける運が無限でない場合には
、ぐずぐずしないで、すべてを出すべきだ。 だが人類は猿の末裔であり、
地球は回っている。
意識についても、
物質的な説明が付けられようとしている。 聖書は古代のお伽噺の寄せ集め、幼稚で単純なお伽噺ばかり
アインシュタイン曰く 「信じていないものを実際に信じることは不可能である。
また神が全知全能であるならば偽装信仰は看破される。
さらにその神が信じていた神と違うどころか敵対関係の神であった場合、大きなリスクを負うこととなる」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています