真理は神の言葉すなわち第一に神そのものを証するためにあることです。
これらを悟ったものは神を知ることとなりそこに信仰が発生します。

かたや自分は悟ったというものは自分が神のようになり己を証ているようなものであり、そこには信仰もなく無しかありません。