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2021/08/14(土) 22:42:08.26ID:nyamlPYpたとえキリスト教徒でもついていけない・・・と思うわ・・・。
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神の義なる裁き 2021年08月13日
イエス・キリストは、生涯を地上で独身として過ごされ、そのことに何らの不足も不自由も感じておられなかった。
使徒パウロも、結婚しないでいられるなら、その方が良いと。
これは、彼らが、聖霊に導かれる新しい人として地上を生き、よみがえりの体を持つ真にあがなわれた人に極めて近い生き方をこの地上ですでにしていたからだ。
はっきり言えば、もはや性別が何の意味も持たない世界を生きていたからである。
私たちは、救われて信仰をもって死ねば、やがて復活にあずかる。
その時、復活の体も与えられる。
おそらく、その有り様は、見た目には今の体に近いだろうが、新しい国では、娶ったり、嫁いだりしない。
なぜなら、永遠の命を持っているためだ。
性別というのは、人の命が有限で、人類に子孫を残すことが必要な限りにおいてしか、意味をなさない。
人の命が永遠であれば、性別はあってないようなもの、娶ったり、嫁いだりも、完全に必要ないし、来るべき御国では、そうした関係性自体がないとイエスは言われた。
では、来るべき御国では、夫婦というものは存在しないのか?
存在しない。
しかし、真の夫婦がある。むろん、霊的な絆として。
それが、神と人類なのである。