鹿野園、カムイとの付き合いがディープなのは、道元禅だか、こういう処だろうな。

16 法眼不知親切( ほうげんふちしんせつ)

■〈現代語訳〉

法眼文(もん)益禅師が、かって羅漢桂琛(ちん)禅師に参じたときのこと、桂琛が法眼に尋ねた。

「君は、これからどこへいくのか」

法眼は答えた。

「前々から続けている行脚をするだけです」

桂琛が聞いた。

「行脚とは何か」

法眼が答えた。

「知りません」

すると、桂琛が言った。

「その知らないということこそが、仏法を最も切実にとらえる肝心要(かなめ)のところである」

その言葉を聞くや、法眼は豁然(かつねん)と大悟した。

きままに、そしてまた気ままに、ゆったりと、

自在な行脚がどうして種々さまざまな規準などにしばられよう、

が、しかしその不知なる行脚の世界にほんの少しでも理屈が入り込めば、

仏道の真実の知はたったの二、三升に過ぎないことになる。