旧約から言われていること
それは主の日が来るということ
主の怒りの日である
つまり裁きがあるということだな
裁きとは何か?
神のいつくしみによって罪を赦されるか、もしくは神のいつくしみを蹴って正義による裁きを受けるかどちらかだ
あんたら仏教勢は自分の罪は大したことないから裁きなんか怖くないと軽く考えてるかもしれないけど、死んでから叫んでも遅い
輪廻転生はヒンズー教の考え方だそうで、後世の仏教徒が再び取り入れた考え方だから、仏教ですらなくなってるよね
主の日は、あんたらの儚い希望が断たれることも意味する
何回生まれ変わり、何回テスト受けても、ダメなものはダメ成長することは決してない
あっちが育てばそっちがいびつになるの繰り返しなだけだから