>>419 和紙さん。

ー昼間、わたしが述べた事と和紙さんの話でー

2000年間、どれぐらいの人々がクリスチャンになったか、
というのがありますよね。
で、イエスを告白して、天国行きの切符も手に入れ、
聖霊による洗礼も受け、ですよね 全員が。
全員が合格、ということになります。
ほんとうにイエスを十字架刑、贖罪、復活を受け入れることが、狭き門でしょうか。

神が子供たち全員を愛しているなら、○○教ではないし、
もともと平等な広き門です。

しかし、ユダヤ教は契約の民であり、選民思想です。

それを、瓦解させたイエスキリストの狭き門は、
キリスト教の手続きによって、天国というようなユダヤ教と変らない、
選民思想ではなく、本質的な選別というハードルの高さが狭き門でなければ
おかしいのです。
なぜなら、
ユダヤ教と同じ以上に、他民族にまで伝染させ
個々人の意識にまで浸透し、表面的な救われた側感の
差別的な選民意識を持たらしてきましたから。

(いやだ〜そんなのいやだ〜、
日本人は、選民思想でなく、もっと良い意味でかしこいはずだと思いたい。
キリスト教国の文化人たちが、その昔、日本を訪れて、
神の国である、外国では底辺と言われるような暮らしをする人々までが
美意識が高いというのは、驚きだと、憧れているのです。
私たちが忘れてしまいそうな、観察力や感謝や美意識を復活できたらいいな。)