ちなみに、私は、投稿者がどれほどの悪意を込めた嫌がらせ行為を行っても、それが行われるときには、隠れたところで、非常に重要なことが進行していることも分かっています。

本当に、この世には悪があれば善もあり、何かの苦難や試練があるときには、それにふさわしい栄光がいつも待ち受けているのです。

これはほとんど法則性と言っても良い。

実際、こうして書いている最中にも、とても喜ばしいことがありました。前から書いていますが、今、私はこのためにこそ、これまでの人生があったと言える大きな転機を迎えています。

誹謗中傷やら、ブログの剽窃やら、おかしな判決や決定やらが、私の人生に負の影響を与えたり、前進を妨害できると思いますか?

無理ですよ。むしろ、逆のことが起きます。

私は、苛めや、中傷や、愚かしい判決を苦にして死ぬなど馬鹿げているとずっと言い続けています。それでは、大量の中傷がなされたらどうするのかと言われるかも知れません。

気にする必要は全くありません。

何の影響もないからです。見ていれば良いですよ。そんなもので人の仕事や、人生や、交流を妨げることができるかどうか。

実際、妨げられていない現実があります。健全でまっとうな知り合いは増えていき、より全うな仕事は与えられ、経済的にも何ら困らないようになると書いている通りです。

家庭も、友人も、何もかもうまく行きますよ。

これまでは裁判をやっていたから、文書作成に時間が塞がれていたのであって、それが終われば、何でもできるようになります。

孤立することはありません。むしろ、孤立するのは、人を陥れたり、中傷したり、滅茶苦茶な仕事をしたりしている人たちなのです。