これから彼らが二元論者になっていく。そこはすべての人たちが自己の義を振りかざして戦う「マサダの要塞」、容赦のない、終わりのない裁きが、万人の万人に対する闘争が、血で血を洗う闘争が、果てしない分裂が、これから繰り広げられることになろう。

そこでは、子が親を告発し、信者が宗教指導者を告発し、宗教指導者が信者を告発し、女が男を告発し、兄弟が告発しあい、国は国と争い、民族は争い、国民が国を告発し…

人々は互いに正義を装って懲罰しあい、弁護士がそれをカモにしてビジネスを繰り広げ、裁判所が争いを煽りながら、正義の仮面をつけて、人々の血で血を洗う闘争に見かけだけの決着をつけるだろう。

私は、彼らに背を向け、彼らに占拠されていない圧倒的多数の人々の群れに身を投じることとした。

約十年前にも、同じようなことが起きた。

私は裁判による物事の解決を提唱していた指導者のもとへ行き、自分の件を訴訟にしようとしたが、それは成らなかった。私は失意のうちに、その世界をエクソダスした。

私は猛烈に責め立てられ、逃げ場を失い、失意のうちに、そこを離れ、どこに命があるのか、どこに神がおられ、希望があるのかを探し求めた。

それで彼らの手法の外に確かな命を見いだし、新しい生き方を求めてここに来たのである。