坐禅と動中の工夫13
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再掲しておくかw
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|| 知障のレスは ||
|| 見ない! ||
|| 聞かない! || ∧_∧ これ、基本ですよ。
|| 関わらない!\ (゚Д゚,,)
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〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
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知障って誰?
馬鹿鬼、ポタ公、でおー、バカムイ、
こじ、鬼子、ひふみ、魚等です。
※前スレ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1615974733/ 即非の論理の誤り
http://www.eonet.ne.jp/~eternity/sub45.html >>519
あー、そこな。
オレはいつも道元禅師のワード選びが秀逸過ぎて舌を巻いてるかなw
まー、無分別が仏道の基本だけどねー。
なかなかにオレはそう言う対応出来てないなぁw
共に井を雪で埋めることが出来ないわw >>522
鹿野園にしろ、カムイにしろ、有り様は違うが、外部存在の無分別に関心がないからな。
ま、俺様ですら去年の今頃、仕事しながらキメたからな笑、
スレタイどうりな笑。 再掲しておくかw
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|| 知障のレスは ||
|| 見ない! ||
|| 聞かない! || ∧_∧ これ、基本ですよ。
|| 関わらない!\ (゚Д゚,,)
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〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧ は〜い、先生。
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知障って誰?
馬鹿鬼、ポタ公、でおー、バカムイ、
こじ、鬼子、ひふみ、魚等です。 外部存在の無分別に関心ということは、
学問的な方向性では、どうにもならんという証左なんやろね、究極的には、
菩薩行で、大乗仏教やからな。
世話になっとる坊主、檀家の範疇ですら感化させる能力凄まじいわ笑。
俺様は
あそこまでは、いかんわな〜〜
笑 >>523
外部ってのも方便だしな。
>>526
師匠んとこも檀家さんかなり参加してるよ。
檀家ゼロから始めてるからね先代が。 >>528
こらこら、仏性の話やで、
仏像になぜ光背がある?
そのへんやな、
そろそろカカシのレベル
が探求しないといけないのは、この辺が、弁道話のミソちゃうか?
先行して密教で自動的洗脳的にたんまり仕込まれたから、
この辺の理解、気づきは早かったけどな、
無分別につながるまで時間差食ったし、
流動性趣味の臨済宗なら、道元禅選ばん、四料ケンがあるから、なおさらヤヤコシイ笑。 >>529
仏性の話?w
ごめんごめん。まー正直、オレは身体でやる禅しか知らんw
いや、それすらも知らんw
ぶっちゃけ道元禅師がなんて言ってるか分からんことが多い。
ろんが言ってた薬山のお経を読んだことが無いって話しもどう言う意味なのかさっぱりw >>530
華厳やら、法華やらの経典で
神秘主義ぽい表現を禅的に再解釈すべきところまで、カカシは来ているのさ。
道元禅師ですら、法華経を読んでいるのだから。
いわゆる小乗の悟り云々の域を超えて、
シャバの会社のめんどくさい上司、同僚に無分別に付き合えれるか?
みたいなところよ。 臨済禅なんかは、アタマのオカシイ四料ケンで
流動性マシーンで内外自在とこのクレイジーな芸当が好きだが、そこで教典無視、教外別伝とかのアタマのオカシイ芸当を、するんだろうが笑。
道元禅師は、オーソドックスの仏教の伝統を重んじているから、
法華経などの神秘表現を禅的に再解釈しとるから、只管打坐の法輪みたいな空間に広がる感覚があるさ、
カカシにはまだ見えないし、
カムイ、鹿野園には永遠に無理だろう笑。 悟っていなくても一生の間で威張れる、と思う鹿野園である。
これが真正の知障である。
大爆笑である。
知障の代表者である鹿野園はいつまでに就任式典をやる、のかや。
大爆笑である。 >>531
まー、ホントそう言う学問的ってのかなぁ?
そのあたりマジでどんどん思い出せなくなって来てるのよw
だからでおーのいう、後半部分だなぁ。
シャバの理不尽、不条理に出くわしたとき、
ちゃんと付き合えれるか。そこだな。 >>532
法華経も読んでないなぁ。そんな神秘ひょうげんなんだ?w
うん。オレには見えねーわまだ。 >>533
ぼってん師、スレ昇華手伝ってくれてありがとーw >>536
ぼったん師だたw
ん?そいやぽったん見かけないけどどうした? >>538
ひと段落と言ってもいいのかな?
まだ師に許されたわけじゃないけどね。
てか、イメージしても許されるイメージわかないわw
オレとしては師匠がなんと言ってもこれでもうオッケーなんだけどねw
もしかしたら自分を超えてくると踏んだもの以外は許さないかもなーw >>535
天台で、なんちゃら三昧とか言っているなあ、
忘れたわ笑。
なにせ、比叡山坊主の法華経の法話にあったが江戸時代か、の昔か忘れたが、
ある天台坊主でわざと犯罪犯して役人に捕まり、牢屋の中の囚人に仏教の教えを教えたとこかの説明で、天台のなんちゃら三昧の説明してたな。
日蓮宗が宝塔が現れて過去仏と釈迦仏が
並び立つとか、色んな神秘現象的表現があるからな。
ま、そういうのは空間、外部に対する衆生済度の表現やら、作用なんやろ。大乗仏教やからな。
その辺が、弁道話の、仏印云々ていう話やろ、
臨済宗だと、アタマオカシイ、四料ケンとか言うんやろ笑。
2014年頃に気づかずに、そんなことしてたわ、最近、レスした話な笑。 浄土宗系寺院に来ているが
異香で三昧に、入り皮膚から光が出る感じやなあ笑。
こういう光明表現は浄土三部経なんかは好きやからなあ、
そういう光明で衆生済度し、極楽往生に導くという感じなんやろね。 >>537
ぼったんは、キリスト教スレで癒やされとるで、
悟りスレで鹿野園に怨念レス上げてるで笑、 539.公案は師から許される、という問題ではない。
自分自身で納得できるか否かの問題である。
応用問題である、から基本理論の応用問題である。 浄土宗系寺院を出て仕事の準備残り片付けするべ、
マジメに十念して、異香感じて、
出陣するべ
笑。
またな、 >>540
うはー! やっと家に着いたw
なんちゃ三昧?w ほえ〜。なんだか難しそうだなw
弁道話のときで24か5やろ?道元禅師。
クソ頭いいよなww
>>541
浄土系って光多いよねw
仏像の後光にも意味があるんやなー初めて知ったw
>>542
あーぽったん元気なら良かったw
素人さんが来なくなったみたいだから、
若干心配してたんよねw 無事是貴人だね。 >>543
そうそう。なんぼ師が許しても自分が許せなかったら仕方ないよね。
納得できないんだもんw
先ずは自分がこれでもう絶学ってとこまでいけるかどうかだね〜。
>>544
お〜いってら〜! >>506言われないって?誰に?
師の僧に言われないのか、自分はやってて弟子に勧めないんだね、読経は坐禅を助けるからね、潜在的雑念を浄化してくれるし
自分とのつながりの世界へ向けての回向・供養はやるべきと、おれが師僧なら勧めるけどね、得るところあるからお前もやれって >>547
ちなみにオレは在家だけど言われないなー。
たぶんだいぶ変わってるからなーww 読経か笑。
真言各流派マスター狙いで真言セットで、
昔たくさんやったな、 本来、道元禅の本流だと、読経は重んじないだろな。
何処までも事実認知だろうね。
日本真言密教は、読経の効果はあるやろね。
ま、実践したからな。 >>550
なんだったら認識すら別にせんでいいって感じだからねw
何もかんもほっといて坐れってw
もちろんお寺の行事はちゃんとやってるみたいだけどオレは知らないw おれの師の場合だと、必ずしも座ると言うことを勧めていなかった
動の瞑想→静の瞑想
心の理解→独りでに思考が止まる→自然に坐禅が起こる
こんな感じ、果実は自然に熟れて独りでに落ちる的なことを言ってた
なので、師の講話録をひたすら読んで読んで理解して、それと1000日の読経したら、勝手に思考が止まって、一切放下が起こって、自然に十牛図の三図の禅定に至ったからね
だから、禅定は自動的に起こるものという認識なので、そこを目指しては座らなかったよ >>551
>なんだったら認識すら別にせんでいいって感じだからねw
それで済むなら、道元禅師の著作を山程いらないさ、
眼横鼻直、
これ明白な認知だよ。
当然あるところに、当然ある、ちゅうに。 カカシは、
如実知見を究めんといかんな。
道元禅師の路線に合った良いレスだな笑。
我ながら笑 >>552
千日も読経したの? すごいねw
定を得るための修行になると本末顛倒と言ってもいいもんね。
こちらも定についてあまりと言うかほとんど言及しなかった思い起こせば…
何故なんだせ…師匠… >>555
如実知見が中心だからね。
仏教だからね。 >>553
誰しもが認識できる方を大切にするって言ってたなぁ…そっちじゃないと。
生きてっかなぁ… よく考えたら来週から新しい仕事で忙しくなるから会いに行くなら今のうちだよな… >>553
がんのうびちょくは師匠やるところのコンコンとかパチンと同じだろうね。
如実知見てよく聞くけどどこの言葉なんだろ?
あんま祖録で見かけたことない気がする。
冷暖自知なら見かけるけど。 >>557
自己を習うのに鈍いな。
自分の心を知らぬは問題ありだぞ、
変な上司にキレルのは、
自分の心の働きの認知が鈍いから、
南方仏教ですら、自分の念の動きを把握するぜ。 空海ですら、自心を知れ、
とあるしな、
こういうのも如実知見よ、
自己を習うていうのもな。 カムイや鹿野園なんざ、
自分の心を知る事を完全拒否で哀れなもんだぜ。
死ぬまで、自分の心ゆくが疎遠で狂って終わるかもな笑。 久しぶりに質問した時の文字起こししたものを読んでみたw 懐かしいーw
ポイントとしては、認識の上に乗っかってきているものを事実だと私たちは思ってる。それはもう過ぎ去ったことなんですね、全部。認識で捉える前の状況に用があるんですよ。 >>560
こちらで教わった心と世間でいう心って違う扱いしてたなぁ…
コンコン。
これが心ですってw はぁ??て、なったなーw 南方仏教のサティなんていうのも、
自分の心の動きをワザワザ、ラペリングしたりするのは、自分の心の動きを客体化したりして、それに囚われない工夫なんやろね。
唯識の、あの学問的なのも、自分の心の動きを客体化して、囚われない工夫なんやろね。
鹿野園くんなんかは哀れにも全く役に立たっていない訳よ、
自分の心を客体化できずに囚われるし、自覚しないから縛られ迷いを繰り返す笑。 なんだろうな…ホント伝えにくいw
たとえばいまiPhoneで打ってるんだけど、
この手に持ってるiPhoneをiPhoneて言葉にしない感じかなぁー。
これそのものだけでいてみる。
スマホだとかiPhoneだとか脳内で変換しないで、
これを持った感じw で、これで終わり。
残念だけど終わりw >>564
オレもね、ここに来たときヴィ・パッサナーやっててね。一年くらいしてたんじゃないかな?
それで支店長とも話しが合ったんだけどw
そんでろんがねw そん時はろんも今より尖ってたなーw
観察が余分って言ってきたのよw
で、安堂と2人がかりでやいのやいの言ってきやがって。。w
でもオレは今でもこの時のことを感謝してる。
お蔭で師匠たちにも会えたし。 >>562
>ポイントとしては、認識の上に乗っかってきているものを事実だと私たちは思ってる。
正確な自分の心、反応の把握無しで囚われた、縛られた反応を把握してないと、
変な上司にキレたりして、
「苦」を味わうのさ、
過ぎ去ったと思おうとしても、
過去の恨みの蓄積、苦の蓄積で縛られて、
ある日爆発する。
囚われ、縛られから解放されてない。
ということや、
いくら、御託ならべてもな。 唯識のおいては、
三性とか言って、
認知の把握があるんや、
その勉強しろ、ていう意味ではなく、
自分の心の動きを無視しても、
キレたりする、「苦」に囚われ、縛られて
無分別になれんのや、 >>567
まぁなーw ホンマなんで怒りって沸くんやろなー?
これさえわかんかったらオレの人生だいぶ違ってたと思うw
ぶっちゃけここ数年は仕事仕事で、全くと言っていいほど禅について考えることすらしてなかったわw
普通に世俗的に過ごしてた。
禅のこと忘れたわけじゃないんだけどな。
祖録とか忘れてるけどw >>568
ほほー。自分の心ってこと自体、考えなくは、なってたなw
まーでもね、ジッサイには人間腹減ったり、忙し過ぎたり、思い通り行かんと腹立つもんよw
腹立つー!てw >>569
そりゃあ何らかの認知の歪みがあるんやろ、
出来事に対する認知の歪みやろ、
過去の出来事、人生経験から、過剰な認知の歪みがでてくるんやろな、
過剰な認知の歪みから
そこから、過剰な反応が、出るんやろ。
自分の心の動きが客体化してないんやろ。
唯識では学問的に、そういうのを三性やらで、やっとるやろうけれども。 >>571
してないなー客体化てのは。
なんせ内側がどうなってるかなんて観察すらしてないんやもんw
鬼和尚のま反対のことしてるからね。
ちともう一度集中的に坐るかな…
全くと言っていいほど坐禅してないからなw
ただ朝起きて働きに行って帰って寝たり友達と遊んだり、と。
ホント普通に生活してたよこの5年くらい?w >>572
俺は仕事している時ほど、朝必ず10分坐るなあ笑。
散歩30分集中と、歩く坐禅?気合いを入れるなあ笑。
仕事のない日は神秘主義遊戯
笑。 >>570
それが習慣になるんだよね、深部の心がオレ腹立てて良いんだ!ってなる
だから、心の 仕事=禅だもんな、
もはや笑。
仕事無し=5chで、イエス・キリストからの預言者笑、とかね。 >>574
ほえ〜偉いなぁ。オレなんて朝はギリギリでw
飛び起きて、ダッシュで用意してって感じだったなーw 当然仕事中でも工夫のことは過ってたけどなw
そんなこんなで5年くらい仏教とは無縁の生活してなぁ… だから、心の観照が重要なんだけど、抑圧したらそれもダメだから、
要は心の中を覗き込んで、勝手に妄動している思いを観照可能になってれば
いいのよ
そしたら妄動静かになって消えたりするでしょ、要は手なずけるの
こっちが主人だぞ!って、獰猛な妄動想念を手なずけてしまえば、勝手に暴走しなくなる
思考・想念は妄動によって動かされて口から言葉が出てくるからね >>575
ほほー。深部の心がそうなってるんだ?
ホント全く顧みる事なんてしなくなってたからなw
>>576
仕事=禅てのは究極だなw
残念ながらオレの仕事って、人と話して相手とお互いに考えに考えてする仕事だから参じるってのが中々出来てなかったな。
我ながらひどいもんだw >>578
ほ〜。なんだか懐かしい用語出てきて嬉しいなw
ヴィ・パッサナーのラリーも心を手懐けるみたいなこと言ってたなw 急に思い出したw ホント説明はオレにはムズいんだけどさ、
ろんの言ってたこれが理想かなw
出来てるのかってったら出来てないし、ここを目指してるのか?と、問われれば目指してはいないかなw ↓↓
>>よろよろふらふらとみっともなく不器用に日を過ごしている 久々にまともに坐ったw
やっぱ坐禅は端的でいいなぁ。
アイテテ、脚いてーw >>582
すたすた坊主とか、転んだらそのまま寝てたとか、これ時代に合わなくなってるんでないの?
現代はもちょっとスマートに、そつなく仕事して、全体と調和しながら、生活の全てで禅になってて、芸術を趣味とし、自然にもw親しむ
みたいなw >>584
>> すたすた坊主とか、転んだらそのまま寝てたとか
ごめんこれなに?w すたすた坊主って?
転んだらそのまま寝てたって?
オレが言ったことじゃないよねw >>584
生活の全てが禅ね〜…w
誰とは言わないけど、生活や仕事でも禅で…なんてお話にもなりませんって言ってたなw
なんだか今さら言ってる意味が分かったわ。 >>584
"よろよろふらふらとみっともなく不器用に日を過ごしている"
これね、みんないつかこうなるよw
これが凄いのはこれを自分で言ってるところなんよねw
たとえば、すごいご高説を垂れてる方に、じゃああなたのみっともないところを端的に説明してくださいって言って言える人がいたらオレは注目するなー。
だからね、ハッキリ言わせてもらうと見てるところがまるで違うんだよなー。 >>587
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ長年修行された老師なら所作が身に付いていらっしゃるんじゃないの? >>588
老師? なーんかね〜 凛としてて、キレイな感じだよご老師たちはw
一分もスキがねー感じだけど、かといってリラックスしてるんだよなぁ〜。
今度会ったらみっともねぇとこ教えてくだせ〜って聞いてみるかな(笑) >>585
白隠さんの禅画にあるんだよすたすた坊主ってのが、それと、とうとう和尚
すたすた前屈みで歩くとぼけた顔の坊主、とうとう和尚は中国の禅画だったかの、着物の胸元はだけてニコニコ顔の和尚
あれが一切放下の姿的なねwww 布袋すたすた坊主
https://i.imgur.com/jswj7V4.jpg
修行もせず物乞いばかりしてた和尚が、死後に弥勒仏の化身と分かり信仰を集めた故事を描いたものだってさ へ〜。白隠のこんな画があるんだ? 知らなかったw
いわゆる布袋和尚だね。
たしかにこれが究極かと思うと、笑っちゃうよね(笑)
この布袋和尚とは真逆のスタイルの究極(と、オレが個人的に思うもの)があるんだけどねw
それは事実上不可能だなー。いやーすげーとは思うけど絶対に俺にはできないw
リンクとかありがと〜! 面白いね〜この画w 仏教の思想7『無の探求ー中国禅』柳田聖山
二章 道を楽しむ歌
P41〜42 禅と隠遁文学 『今日もぶらり明日もぶらり』
唐の人、通称 騰騰和尚 嵩山慧安の法嗣、本名仁倹
騰騰(とうとう)は楽道歌の中の言葉
ー 今日も手放しでぶらりぶらり、明日もぶらりぶらりと手放し。
心の中ははっきりとすべてを知っていながら、
とにもかくにも、馬鹿か間抜けのように暮らすだけだ。ー
伝灯録ー30
『山僧歌』
ー 春は、山鳥が枯れ枝をよじ、花の枝より飛び下りる。
山の姿にみとれて石ころにつまずき、
立ち上がろうともせずに、よくじつの暁まで眠ってしまう。
人はわたしを馬鹿だというが、
自分では、いとも閑(のど)かで何の煩いもないと思っている。ー
〜
ー 最上(ほんとう)の道、それはあらためて至るようなものではない。
ただはからいを止めよ、そうすれば自然に知れることだ。
心を知り自性を見て、さらに時節因縁を知る、
無心でいるこそ、もう釈迦老人そのものだ。 仏教と禅の本は全部、師の兄弟子から貰ったもの、兄弟子は本を全部オレに預けてインド行ったっきり帰って来ないんだよなあ〜
パスポート捨てたとか言ってたなwwwもう死んだか?わからん、まさにスタスタ行ってもうたわ >>593
へ〜。この人が布袋和尚のモデルなんかなー?
はからいを止めようとすればそれもはからいだからなぁ笑
止めようとせずにこのまま、いま実際に自分が生きてる様子に即していれば自然と止む、止まざるをえない。
>>594
あららw
まー、好きなように生きるべしやね。
そういえばオレも凡ゆる本は捨てたけど、お寺の本と、師の師の本とか捨てずに取ってあったのに、
この5年で一体どこに行ったのやら…w 宮沢賢治の「春と修羅」の序に、
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
と書いてありなんの事かよく分かりませんでした。
でも刹那消滅という言葉を知り、
刹那消滅とは、
「一刹那づつ生きては死に、死んでは生きているというのを繰り返しているという
のです。」
https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/hereandnow100/entry-10426385729.html
蛍光灯はずっと光って見えるけれど、実際は高速で点滅している。
私(いのち)は生死、点滅を繰り返している
その事を言っていたのですね。 本当に生滅を眼で確かめないとね。
考え方じゃなく。
そうすれば信じることができる。 刹那滅にだまされてるの?
相手が刹那滅なら、自分も説摩滅になったらどうだろう。
あら不思議、刹那滅が消えちゃった〜 ♪ ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ白隠 禅と書画より
すたすた坊主
来た来たまた来た、いつも参らぬ、さいさい参らぬ、すたすた坊主。夕べも三百はりこんだ。
それからはだかの代参り、旦那のご祈祷、やれご祈祷、神様ご祈祷、それご祈祷。一文ご祈祷、なあご祈祷。
布袋、銅鑼をぶち、すたすた坊主になる所
画は、右手に笹らしき もの、左手に手桶を持った布袋のような腹をした坊主が、
すたすたと走っている様が描かれている。
沼津周辺では、裸の和尚が手に笹を持ち、手桶で水をかぶりながら祈祷をしている寒行が、行われていたという。
稼いだお金をすべて吐き出し、裸一貫となった姿は、一度得た仏法をすべて吐き出し、衆生済度あるのみ姿である、とは、故中島老師の活釈である。
十牛図の第十図、入鄽垂手の図が思い起こされる。
徳利を片手に手をぶらりと下げて町中を廻るままに、衆生が感化される様を描いた図である。
衆生済度を描いているみたいですね 逆に仏教は不生不滅も説いてるからね〜。
一体どっちなんだろうね。 599.肘は外にまがらない。by鈴木大拙。
それを確認するために、肘を砕いてしまった麦である。
その後は、どうかいな。
肘は治った、か。
それで円満解決した、か。
大爆笑である。
。 春と修羅、という言葉にあるように春の優しい光の中にいても修羅の私。
どんなに尊いと言われる教えに触れていてもどうにもならなかった自分、それが「春と修羅」という言葉に現れているのではないかと思います。 >>599
あの画をみて衆生済度する気が全く感じられないのはオレだけか…?w 602.修羅である私、である、か。
その私の肘は外にまがらない。
なんでか。
by鈴木大拙。 >>602
なるほど。タイトルにまで眼が行かなかったな。
ここまで書けるんだから宮沢賢治は刹那の物と物の際を見てきたと思うなぁ。 >>601
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ足の骨にヒビがいった事あるけどギブスしていたら勝手に治ってましたwww
複雑骨折だとビスで留めたり手術室が工事現場の様な音がしているみたいですねwww 605.修羅であるカカシが言う、ことである。大爆笑である。 >> 人はわたしを馬鹿だというが、
自分では、いとも閑(のど)かで何の煩いもないと思っている。ー
これもいいよねー。やっぱのどかでないとねー。
いつもイソイソしてたら修羅になっちゃう…w >>559
実は
麦は虚飾知識まめれの鹿野園が大好物笑
>>603
知識で、虚飾大好きな
鹿野園や麦に解らん、四料ケンの意図も含んでの、バカみたいな、あの裸なんでしょうね、
流動性の姿で衆生済度なんでしょう笑 609.生き物を殺したものを食っているカカシである。阿修羅なり。
俺は、カスミを食っている。
その両者の相違である。
大爆笑である。 宮沢賢治は妹を亡くして樺太へ旅します。
死んだものたちに出会えるかもしれないと考えて。
でも会うことは出来なかった。理想と現実。
その時の自分の心をそれを修羅に例えたのかと、
そう思いながら読みました。 >>603
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ白隠展の案内にすたすた坊主がすたすた走ってます♪w
衆生済度から考えると衆生を観ていて自分はいないのかなぁって
>奪人不奪境 客観的な対象があるだけで,それ以外の心とか自己などはない。
そしてなりきっているから
>人境倶不奪 すべてがありのままにある
って思いました
https://youtu.be/nPB40HHR1ds >>613
鹿野園に騙された哀れ解釈状態、
お可哀相に
笑 614麦みたいな説明がつけれるなら、
裸になる必要がない
麦は裸のスタスタ坊主に
説明という虚飾アクセサリーを付ける
愚行をする。
麦や鹿野園は、いつも虚飾が欲しい
笑。 >>614
∞ノノハ∞
川^〇^ハレでおーたんが言われる事事無碍法界なんだと思います♪www >>615
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ …
∞ノノハ∞
(〇^ ハレ ≡ぷい >>616
事事無碍法界>四料ケン
だよ
事事無碍法界に近い>道元禅。
鹿野園のジャンク情報に洗脳され過ぎ、
麦は洗脳されたままだろうけど笑 鹿野園のジャンク知識は
華厳、真言密教レベルの
事事無碍法界すらないという
指摘でだしただけ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています