0627ザンクト・ガレン
2021/04/30(金) 00:10:51.94ID:SYfVIeDB案じて居りましたが、
お忙しかったのですね。
新型コロナが、
ここまで「禍」となるとは…
人生そのものが狂ってしまった方さえ
沢山いらっしゃるのですよね。
ネメシェギ師は日本語著作だけでも
膨大で、なかには、教会から観て、
一部ラディカルな
キリスト教系教団に対する、
「誤謬反駁書」みたいのまで、ものされて
らしたと思います。
ググっても出て来ませんが。
しかし、ご紹介著作のテーマの方が、
微笑んでらした、師の眼差しに
相応しい様に思われますね。
さて、ご質問ですが、
正直、両著とも、訳詩の詳細は
明らかでなく、
「誰が責任を持って作ったのか?」
具体的に分かりませんし、
仮に分かったとして、面識もごさいませんから、
私にも分かりません。
ただ、推察ですが、
両著の関係者には共通の方々が
いらっしゃる様には思います。
加えて、
前に例を示して申し上げたと
思いますが、件の詩篇箇所に限らず、
両著とも、肝腎要の「キーワード」
ー 件の箇所では、'manus' 「御手」ー
が、何故かボヤかされたり、置換されたり、
毀損されたりする例は多いですよ。
これも、何故だか?
まったく分からないんですが。
そもそも、
カトリックスレの古い住人さんは
ご存知のことだと思いますが、
私は両著とも「キライ」で。
かつて、散々批判を致しました。
しかし、それも不毛なことでしたし、
今でも『アレは歌いたくない、
唱えたくない』のですが、
「人それぞれなんだ」と思うことに
してしまい、
やがて、そう思える様になりました。