>>622 お久しぶりです。
案じて居りましたが、
お忙しかったのですね。
新型コロナが、 
ここまで「禍」となるとは…
人生そのものが狂ってしまった方さえ
沢山いらっしゃるのですよね。

ネメシェギ師は日本語著作だけでも
膨大で、なかには、教会から観て、
一部ラディカルな
キリスト教系教団に対する、
「誤謬反駁書」みたいのまで、ものされて
らしたと思います。
ググっても出て来ませんが。
しかし、ご紹介著作のテーマの方が、
微笑んでらした、師の眼差しに
相応しい様に思われますね。

さて、ご質問ですが、
正直、両著とも、訳詩の詳細は
明らかでなく、
「誰が責任を持って作ったのか?」
具体的に分かりませんし、
仮に分かったとして、面識もごさいませんから、
私にも分かりません。

ただ、推察ですが、
両著の関係者には共通の方々が
いらっしゃる様には思います。

加えて、
前に例を示して申し上げたと
思いますが、件の詩篇箇所に限らず、
両著とも、肝腎要の「キーワード」
ー 件の箇所では、'manus' 「御手」ー
が、何故かボヤかされたり、置換されたり、
毀損されたりする例は多いですよ。
これも、何故だか?
まったく分からないんですが。 

そもそも、
カトリックスレの古い住人さんは
ご存知のことだと思いますが、
私は両著とも「キライ」で。
かつて、散々批判を致しました。
しかし、それも不毛なことでしたし、
今でも『アレは歌いたくない、
唱えたくない』のですが、
「人それぞれなんだ」と思うことに
してしまい、
やがて、そう思える様になりました。