>>204 ふぃりぽさん
一昔前には、
やれ「新しい教会」とか、
「信徒使徒職」とか、「信者の時代」、
「新しい教会はピラミッドではなく、
同心円状」などと、盛んに語られました。
今はどうか?よくわかりませんが。

しかし、こと、「教義」になると、
やはり普通の信者(古くは平信徒と云った)が、
教導権や教会位階抜きに語り、
議論するのは、かなり困難なことだと
思います。
下手をすると、排他的になったり、
原理主義に陥ってしまいます。
原理主義はコワイですよ。
世界遺産のバーミヤン石仏も、
平気で吹っ飛ばしてしまいます。
教会で云えば、ミケランジェロの
彫刻を吹っ飛ばされるような
もんですからね。

かく云う私も、経験上、「典礼」の話は
散々荒れる元になったので、
今や、「教会の音楽伝承」「芸術伝承」
「帰天なさった師の思い出」に
話題を限らせて頂いて居ります。

私が今更云うまでもなく、
「人それぞれ」「各人各様」です。
人の考えを改めさせるには、
己の考えを180度改めるくらいの
覚悟と持続的意志は最低限必要でしょうし、
もしそれがあったとしても、
相手も子供では無い訳ですから、
現実には厳しいと分かりますね。

以下、あくまで私見ですが、
蛇だろうが、メソポタミアだろうが、
エジプトだろうが、朝鮮だろうが、
思うままに語られたら良いでしょう。
好きになさったら良いんですよ。
ただし、言論や行動には、
責任が伴います。

「私がなによりも大切にして居るのは、
自分の意志に忠実に生きることである。
だから、他者もそうあって当然だと
思って居る」ーユリウス・カエサルー

まあ、これでもお聴きあれ ^^♪↓
ttps://youtu.be/9Ore07m56cg