>>926
有為ですね。
因果によって生滅するものが有為です。
逆に言えば有為は因果なしには生滅しません、ですからそれ自体としては不生不滅です(因果なしに生じたり滅したりはしない)。


五 また、もしもニルヴァーナが有(存在するもの)であるならば、ニルヴァーナはつくられたもの(有為)となるであろう。何となれば無為である有は決してどこにも存在しないからである。
(「中論」第二五章 ニルヴァーナの考察)

277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
(ダンマパダ)

このつくられたもの、形成されたものが有為で、それは無常で苦ですよ、と。

一方無為はつくられたものではないもののことですが、であるが故に無常や苦ではないということになります。

また無為は少なくとも釈迦仏教では涅槃の言い換えでした。

相応部無為相応 「身至念経」(『相応部』43-1)

では比丘たちよ、いかなるものが無為なのでしょうか。
比丘たちよ、貪欲の滅尽、瞋恚の滅尽、愚痴の滅尽。
比丘たちよ、これが無為といわれるのです。
https://komyojikyozo.web.fc2.com/snsav/sn43/sn43c01.htm

増支部では同じ説法で無為という言葉が涅槃に変わっただけのものがあります。