>>849
確かに釈迦仏教だと

158 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。
(ダンマパダ)

ですが、道元さんにおいては

『修証義』第四章「発願利生」

衆生を利益(りやく)すというは四枚(しまい)の般若(はんにゃ)あり、一者(ひとつには)布施(ふせ)、二者(ふたつには)愛語(あいご)、三者(みつには)利行(りぎょう)、四者(よつには)同事(どうじ) 、是れ則ち薩垂(さった)の行願なり
(中略)
利行(りぎょう)というは貴賎の衆生に於きて利益の善巧(ぜんぎょう)を廻らすなり、窮亀(きゅうき)を見、病雀(びょうじゃく)を見しとき、彼が報謝(ほうしゃ)を求めず、唯単(ただひと)えに利行に催おさるるなり、
愚人(ぐにん)謂(おも)わくは利侘(りた)を先とせば自らが利 省(はぶ)かれぬべしと、爾(しか)には非ざるなり、利行は一法なり、普(あまね)く自侘(じた)を利するなり。

(現代語訳)
みんなを救うには四つの智慧があります。一つ目は与えること、二つ目は優しい言葉、三つ目は思いやり、四つ目は共に生きることです。これを菩薩は実践しているのです。
(中略)
思いやりとは、分け隔てなく他の人のためになる手立てを考えることです。弱った亀や雀を助けた人は、見返りを求めず、ひたすら相手のためによかれと思って助けたのです。
愚かな人は、他の人のためになることを優先すると、自分の分がなくなると思うものですが、そうではありません。思いやりとは、自分と相手両方のためになるのです。

となっております。
いわゆる自他不二という思想ですね。

ブッダさんと道元さん、どちらの教えの方により共感するにしても、それを実践することが尊いのだと思います。