>>775
>>811
真言宗など密教の大欲は曹洞宗で言えば発菩提心に置き換えられる感じになるかと思います、私見になってしまいますが。

って発菩提心ってなんぞやとなるので簡単に解説させていただくと

『修証義』第四章「発願利生」

菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すというは、己れ未だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願(ほつがん)し営むなり、
設(たと)い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或いは天上にもあれ、或いは人間にもあれ、苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度佗(じみとくどせんどた)の心を発すべし。

(現代語訳)
菩提心を起こすということは、自分が幸せになる前に、みんなを救おうと誓って修行することです。
僧侶であろうとなかろうと、天人でも人間でも、苦しい境遇でも幸せな境遇でも、「お先にどうぞ」の心を起こしましょう。

この「菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)す」つまり「発菩提心」が密教でいう大欲で、大欲とは欲望を修行救済に使いましょう、ということになるかと。
曹洞宗の仏性思想とはまた違った如来蔵思想などに裏付けされたのが大欲だとも思いますが(断定はしません)

>真言密教では、次のように欲をとらえています。
「この世の中で欲望を捨てることほど大きな罪はない」
>「もし、欲が邪魔になるなら、もっと大きな欲で制すればよい」
>「例えば、御仏と同じ一切衆生を済度するという大欲が我々に持てれば、目先の小欲は制することができる、欲の浄化とはそういうことだ」
>「将来、大欲があったお陰で今日の自分がある、と言えるようになれる」
http://www.kurusonzan.or.jp/information/shingon.php

あ、曹洞宗には大欲という言葉はないですよ。