>>777
玄奘三蔵がタクラマカン砂漠を渡っている時に砂漠の亡霊に襲われたのですが、般若心経を唱えたら亡霊は退散したというような伝説がありましたね。
ちなみに般若心経は一切の事物(一切法)の空を説くことで執着を滅することが説かれていますが、亡霊もそれで現世への執着がなくなり元の世界へ帰るというのを聞いたことがあります。
また亡霊・幽霊は餓鬼界から人間界に来た有情とされているようです。

しかし

最初に『般若心経』を漢語訳したのは玄奘三蔵だとされています。
しかし、玄奘は中国からインドへお経を取りに行く際、「『般若心経』を唱えながら向かった」とも伝えらているのです。
玄奘訳の『般若心経』は、鳩摩羅什訳の『般若心経』とともに「仏教的」ではないのです。
もしかすると玄奘は、サンスクリット語から中国語に訳したのではなく、中国語からサンスクリット語に訳したのかもしれません。
さらに『般若心経』が仏教の経典と考えにくいのはお経としての形式が間違っているからです。
(苫米地英人「お釈迦さまの脳科学」)

※苫米地氏が般若心経を仏教的ではない、お経としての形式が間違っているとしている理由
・「如是我聞」で始まってないから
・観自在菩薩という修行中の菩薩が悟りを開いた阿羅漢のサーリプッタに説法しているという立場を考えるとあべこべなことをしているから
・釈迦が禁じた呪文(マントラ)が書かれているから(ここで苫米地氏は般若心経のギャーテーギャーテーの呪文はシュメール語ではないかという仮説も立てています)
・空即是色の件