>>58
ブッダは輪廻は否定してはいませんね。
輪廻する人生は苦しみであると否定して輪廻からの解脱は説いていますが…というか輪廻からの解脱が釈迦仏教の目的であったと言えると思います。

証拠として

まずは以前もご紹介させていただいた
中部経典 第117経 『聖道経』 八正道と四十効果
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=951429&;id=29096929
より

[正しい見方]
「比丘たちよ、このなかで正しい見方が最初にくる。では、比丘たちよ、どうして正しい見方が最初にくるのか。誤った見方を誤った見方と知り、正しい見方を正しい見方と知っているとき、その人は正しい見方をしている。
 では、比丘たちよ、誤った見方とはなにか。
『施し物は存在しない、供え物は存在しない、捧げ物は存在しない、善悪の行為の果報は存在しない、この世は存在しない、母は存在しない、父は存在しない、自然発生する生きもの(化生)は存在しない、
この世やあの世のことをみずからはっきりと知り、じかに見て開示できるような、正しく道を行ない、正しく道を修めた沙門やバラモンは世間に存在しない』
というのが、比丘たちよ、誤った見方である。

あの世というのは来世とするのが一般的な解釈ですね。

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
(スッタニパータ)

来世はないとするのは誤った考え方である、というのがブッダの説法です。

次には色々ありますが、有名なこちらが輪廻を信じていた証拠として挙げるに相応しいと思います。

153 わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、──家屋の作者(ツクリテ)をさがしもとめて──。あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。
154 家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
(ダンマパダ)
http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/damma-all-text.htm

これはブッダが菩提樹の木の下で正覚を得た時に詠んだ感興偈と言われています(私の推論ですが、恐らくはブッダが「私は悟った時に思わずこう言う詩を読んだんだよ」と仏弟子に語った偈(詩句)だと思います)
家の作者は四諦の中の集諦、つまり苦の原因である「渇愛」とされます。