空性と涅槃(不死)についてはこちらの偈もご参考に

17 この身体は水瓶のように脆いものだと知って、陽炎(かげろう)のようなはかない本性のものであると、さとったならば、この世で悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。

18 この身は泡沫(うたたか)のようなものと知り、陽炎(かげろう)のようなはかない本性のものであると、さとったならば、この世で悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。 

19 この世は水瓶のように脆いものだと知って、陽炎(かげろう)のようなはかない本性のものであると、さとったならば、この世で悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。

20 この世は泡沫(うたかた)のようなものだと知り、陽炎(かげろう)のようなはかない本性のものであると、さとったならば、この世で悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。

21 (諸の存在の実体は)ウドゥンバラ樹の花(優曇華)をもとめても得られないようなものだとさとって、諸の生存のうちに堅固なものを見出さなかった修行者は、こちらの岸を捨て去る。___蛇が旧い皮を脱皮して捨て去るようなものである。) 

(感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第18章 花)

特に21偈などはブッダが直接法空を説いた言葉であると思うのですが、法有を主張する説一切有部の経典であるウダーナヴァルガにこの偈が載っているというところが問題をややこしくしてるかもです(笑)
まあ有部の方でも刹那滅で21偈を解決…できるかな?(笑)
三世実有だと法に作用があろうがなかろうが実体がないと三世実有にはならないように思えますが