私的啓示にこだわる人の大半は病人か変質者。
情緒不安は、信仰が浅い証拠。
本心から信じていないから、不安が消えない。
無理矢理信じるために、厳格な形式を求め、拘束されることを望む。
この心理は現実逃避と同質のもので、自己暗示の増強作業が祈りにすり替わったものであり、カルトにみられる構図そのもの。

形式固執する人ほど実際は信仰が浅い。
「目に見える型」を振りかざし、兄弟を見下し批判、不平ばかり叫ぶ。

ラテン語ミサや口受け拝領の「意義」は肯定するが、教会史の中でそれらは後代の付加物であり、
それをオリジンであるかのような論調、正統とか、伝統と権威付けて呼ぶのは、学術的にも史実としても間違い。
伝統派のインチキさと自演証拠を史実と言い張るずうずうしさ、狡猾さに呆れ果てる。