論語読みの論語知らず、という言葉がある。聖書を読んでも実は聖書を知らないことがある。

聖書読みの聖書知らず、ということは大いにありえる。ファリサイ派や律法学者はそうだった。最も聖書を知っていたのに、聖書の心を知らず、来るべきメシアを迫害した。現代でも聖書や神学に詳しい者が、キリストが実際においでになると迫害するだろうことはありえる。
聖書は心で読まなければならない。
聖書の心・聖書の文底は忘れ去られやすい。イエス・キリストの愛の啓示は忘れられやすい。
いつの間にか、イエスの神は恐ろしい神だ、というふうに変わってくる。愛の神ではなく正義の神、旧約時代の神となってしまう。