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阿含宗という宗教 320

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001指切ったっス番長 ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/07(木) 01:39:04.53ID:80U86U+z
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
__________

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
  http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
  http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
http://agama.zouri.jp/kakoindex.html (1〜100まで)
http://agama.zouri.jp/kakoindex2.html (101〜200まで)
http://agama.zashiki...m/kakoindexmenu.html (201〜239まで) ←リンク切れ。天照さん対処をお願いします

※ 以降は5ch(旧称 2ch)が転載防止策を講じたのもあり、転載できなくなっているのもあり、
※ 239で処理を中断しています。
※ なので、まとめサイトとしての agama考察室での過去ログ閲覧は239までとし、
※ 以降はネットで見たい掲示板のタイトルを検索して探して見ることをお奨めします。

過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.zouri.j...kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/

前スレ
阿含宗という宗教 319
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607571214/
0356神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/15(金) 23:36:11.71ID:rEdJm1nI
阿含宗の方々は『偽阿含桐山外道宗』と名乗りなさい。
阿含経とは逆の教義だからね。
0357神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 09:44:39.51ID:gdPd5lqe
阿含仏教では四向四果=四双八輩の流れで成仏するわけですから、四向四果の一員になることが何より大事なことですね。では、釈迦教団の新米信者のぺいぺいは、四向四果の一員ではないのでしょうか?四向四果の一員である、が正解です。
0358神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 09:52:06.10ID:gdPd5lqe
新米信者のぺいぺいから、シュダオンまであと一歩と修行が進んだ信者までがシュダオン向です。シュダオン向の幅は広いわけです。
仏陀の真実の教えを説く・P373に、その説明があります。
0359神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 10:01:12.82ID:cQQmkziR
ところが、四向四果についての、深山・ユビキタ説は、シュダオン向もシュダオン果もシュダオンの聖者だといいます。勿論それは、桐山本とは違いますし、仏教辞典とも違います。
修行に失敗したのも当たり前の話し、ですね。
0360神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 10:10:16.96ID:cQQmkziR
阿含仏教の信者になったら、自分は四双八輩の一番下の位の預流向だという自覚を持つことが、何より大事です。そこで初めて、一つ上の位の預流=預流果を目指す意識を、真剣に持つわけです。その意識がなければ、四双八輩など他人事で、本当の修行など出来ないですよ。
0361神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 10:14:00.44ID:cQQmkziR
つまり、深山・ユビキタスくんの、阿含宗信者時代は、自分が四双八輩の一員であるという自覚がなかったわけです。
四双八輩は他人ごとであったわけですね。
0362神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 10:34:49.83ID:nTBAaaSP
>>阿含宗関係者に質問ですが
>>開祖、桐山靖雄はシュダオンに
>>なれたのでしょうか?

この質問に対し、ついに阿含宗関係者からの回答はありませんでしたね。
当然、開祖桐山靖雄は、シュダオンどころか阿羅漢になっているぞ!
という反論を期待していましたが、スルーでしたねw
まあ、シュダオンだろうが阿羅漢だろうが
聖者が、愛人囲ったり、愛人から裁判に訴えられるのか?
と反論されたらぐうの音も出ませんからねw
スルーするしかないでしょうw
0363神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 10:36:54.12ID:nTBAaaSP
★《※【第二の仏陀】桐山猊下が愛人エロ皮さんをナンパした時の告白御霊諭レター》★

【御霊諭】平成元年5/4  色★千景

報告書を読んで君の純粋な気持ちと布教の情熱に感心した。
今までにも熱心な信者や弟子が沢山現れたがその中で君は数少ない一人だ、
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた」などという表現は非常に鋭いと思う。
私自身そう思っているが自分では言えない。
今までにこういうことを言ったのは君が初めてだ、君が男であったらとてもよいのだが
女性でも女性でなければできない役がある、弟子になって命がけで修行する気があるなら
弟子にしてあげてもよい。見込みがあると思う、今働いてる所は即時にやめなさい
「抱かれるか殺されるかどっちかにしろ」とか
「☓☓☓☓」などという男の出入りする不浄の場所に君を置いておけない、
良い結果は生じない私が働く場所を紹介してあげる、東京でも仙台でもどこでもよい
又私の法話が十分に聞けるチャンスのある働き場所を紹介する、
私は七月の名古屋例祭が終わったらその夜東京へ帰る、八日(月)の午後、面接する。
但し、道場では君にだけ会うと君がねたまれるから私の修行場所があるから
そこで面接する、打合せをする。私の秘密電話を教える、
その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を入れておきなさい
(今夜にでも)
まず、○○ー○○○ー○○○○へかける(プッシュホン式でなければダメ)交換手が出て
暗証番号を聞くから☓☓☓☓☓☓☓と答えなさい、プッシュホンで押せばよい(口で答えるのではない)
あとは交換手の指示に従って話せばよい又は私は名古屋の名古屋東急ホテル(○○○ー○○○ー○○○)に
六日の夜泊まる、君も名古屋へ泊まって夜十一時頃私の部屋へ電話をしなさい、
その電話で打合せをしてもよい、
東急ホテルでなくてもよいが要するに人に聞かれないで私に電話をかけられる所に泊まればいいわけだ、
翌日七日、午後に東京で面接する、今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい、
名古屋で泊る費用を同封しておく。
(桐山原稿用紙直筆鉛筆》
             
★★猊下ヒューヒュー\(^o^)/
0364神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 10:40:31.52ID:nTBAaaSP
愛人と裁判沙汰になって阿含宗の先達に相談したら

霊障の仏がいるから解脱供養を申し込みなさい。
護摩木を1000本勧進しなさい

と指導するところかなw
0365神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 12:17:51.83ID:xHSO+6DT
>>359
流石は詐欺師桐山の弟子、嘘の塊だな。
深山氏はシュダオン向もシュダオン果もシュダオンの聖者だとは言っていない。
仏教辞典には四双ハ輩が聖者だと書いてある。
0366ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/16(土) 12:27:10.57ID:/ZVNktBY
>>357-361
私が昨日朝から晩までその都度思い付くままに書き足していったシュダオンのテーマの話は
もはやそんな議論はこのスレでするだけ不毛の話ですよ。
だって阿含宗にはそのシュダオン向が1人もいないのですよ。
シュダオンの設定を間違えている。
シュダオンに向かうべく課題を果たしてないどころか、それに反することをしている。
阿含宗の教義と活動そのものが身見犯しまくり、疑惑犯しまくり、戒取犯しまくりの三結犯しまくりなんだから、
これは絶対にシュダオンなんかになってやるものかと仏教に反旗を掲げたことに等しい。
だから阿含宗には四向四果も四双八輩も皆無なんです。
聖者ゼロの外道集団です。
0367ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 12:44:15.38ID:/ZVNktBY
三結断ったシュダオンになれば不堕悪趣、三悪趣に堕ちないと言うが、
実は私はその理由が正直よくわからないでいました。
人はその悪業によりいつだって三悪趣にだって堕ちる可能性、リスクはあるのではないかと。
それがどうしてシュダオンになると、もう三悪趣に堕ちないと言ってしまえるのか?と。
しかしそれはわかりました。
釈尊の教えを理解して守るからです。
釈尊の教えを理解してその戒を守り続けたら悪業なんて犯すはずないではありませんか?
アングリマーラが殺人鬼になったのは釈尊と出会う前に教えられていた教えが間違っていたからと言われます。
だからその教えが間違いと諭され、仏門に帰依して不殺生戒を授かれば
もう人を殺すはずないではありませんか?
また不邪淫戒、不淫戒、不妄語戒、不偸盗戒、不飲酒戒、これら守るだけで
悪業は犯さない。
まだムラムラと性欲は起きても不邪淫戒や不淫戒があり、それを守るならば三悪趣に堕ちるような
性的犯罪を犯すはずがない。
欲貪がまだ断てずいろいろ欲しい気持ちはあっても不偸盗戒がある限り
盗んでまでそれを獲得する悪業は犯さない。
悪趣には堕ちないのが当たり前と言えるのですよ。
要は教えが正しいか間違っているかですよ。
正しい教えを理解して守ろうとしたら、それは守れますよ、守りますよ。
守れないという方がおかしいのです。
わかっちゃいるけどやめられない?
それは単なる言い訳の甘えですよ。
骨身に染みるほどわかってないからやってしまうのですよ。
だから教えが守れないのは守らないからです。
教えがわかってないからなんです。
だから釈尊の教えに疑惑を向けて釈尊の教えに反する違う道を歩めば
これはたしかに三悪趣にだって堕ちるでしょうね。
だから阿含宗の信者さんももっと釈尊の教えを学んで理解して守るべきです。
それには阿含宗に居ては絶対にそれが出来ない。
0368ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/16(土) 12:52:51.15ID:/ZVNktBY
阿含宗の信者さんに質問しますが、あなた方、いや、あなたは今後の人生において
人を殺すようなことはありますか?
殺さないですよね。
戦争への徴兵もないならば人を殺すことなどしないと誰しも自信を持って言える。
俺は刑獄の因縁があるかもしれないからわからないなんて言いますか?
しかしそれでも世の中に殺人が絶えません。
これはその人が怒りや怨みにまかせて殺してしまうからです。
これはもう本人に殺さないことを徹底的に自覚させるしかない。
不可抗力なんてものはない。
0369ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/16(土) 12:57:11.50ID:/ZVNktBY
交通事故は別の面もあるからわからないが、他殺なんてするはずがない、しないと決めたらしないのが普通です。
0370神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/16(土) 13:29:34.78ID:JrhSWNB5
>>359
>修行に失敗した
阿含宗に修行と言えるものなどありません
全部金集めのための嘘ばかりではありませんか
求聞持法はどうなった?
桐山ゲイカの晩年にはなんと四神足法まで出してました中身はムーなどの
オカルト雑誌から取ってつけたような変なものでいつのまにか立ち消えました
あなたはいったいどんな修行しているのでしょうかね?
基本的な布施もケチでやらないようだし
勤行だけやって頭だけボーっとなって悟ったっていう感じなんですか
ボケ老人とどこが違うのですか?
0371神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/16(土) 22:18:03.68ID:bMCECiQo
>>305
>そうではなくちゃんと一番最初っから 智慧の観察はあるのです。
>その智慧というのは要するに正しい真理の教えですよ。

まだ順番の話をしてたのですか。
余程この話が好きなんですね。
あなたが三学や八正道には順番が無いと強く主張するのは
深山さんをフォローしたいからだろうが、両者にはやはり順番があります。
水野博士も原始仏教入門(佼成出版社)で述べているように、
三学も八正道も一応は戒→定→慧の流れで進むのです。
詳しくは同書の82〜84頁を読んで下さい。
この本はそんなに高価な本ではないから
深山さんみたいなことにはならないから安心して下さい。
私の話は信用できなくても、仏教の大家の話ならあなたも納得するでしょう。
0372ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 22:31:30.17ID:OUeoqTHK
>>371
じゃあ八正道の螺旋形修行道というのを 説明してくださいよ。
もう一度確認しますが、戒定慧の三学の修行道と八正道と言う二つのコースがあるのですか?
前回の回答でこの辺をはっきり答えず微妙にごまかしたと感じましたので。
はっきり言いますと。
0373神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/16(土) 22:36:18.97ID:bMCECiQo
指ちゃんの作文は独り言?
何か自分に向けて書いているみたいですね。
まあ理屈を言ってもコロナに負けては説得力が無いから、
お互いに元気なところを見せて頑張りましょう。
私もこのスレに長く顔を出さないでいると、さては感染したのでは
と思われたくないので、一応元気なところを見せておきましょう。
そう言えば元上級?職員だった人、この頃見かけないけど、
どうしたんでしょうね。
0374神も仏も名無しさん
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2021/01/16(土) 22:44:51.78ID:bMCECiQo
>>372
>じゃあ八正道の螺旋形修行道というのを 説明してくださいよ。

論文に書いてあります。

>もう一度確認しますが、戒定慧の三学の修行道と八正道と言う二つのコースがあるのですか?

経典の作者(釈尊ではなく実際に書いた人)によって書き方が違うのでしょう。
それだけの話です。
0375ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/16(土) 22:56:12.66ID:OUeoqTHK
戒定慧に全く順番がないということはなく、 やはりまずは生活の規範として 戒律を守るところから始まります。
禅定にはやはり初禅から第四禅までやはり順番があります。
しかしこれだけだったら外道と変わりないと言えます。
仏教の仏教たるところは慧の観察をするところですね。
この慧の観察というのは最終段階だけではなく、もう最初からあるわけですね。
三結断ってシュダオンだが、四沙門果においては一応一番最初に来るものですが、
どう考えても身見・疑惑・戒取という三つの誤った認識を排するというのは 戒よりも定より慧であるとわかります。
だって慧とは智慧であり知恵というものは理解認識するものだからです。
四諦の真理の観察、そのそれに基づいた八正道(道諦)の修行が一番最後に来るはずがない。
もう最初からそれに取り組んでいるわけです。
だから最初の3年間戒律禅定やって次の3年間やってそれからようやく慧の修行に入るとか、
そんな話ではないということが言いたいだけですよ。
そんな認識をしていると沙門果経だって読み誤るわけです。
四禅を終えた修行者が慧の観察にも入っていないのに解脱しているのはおかしいとかそんなことを言い出してしまうのです。
そんなことはなくちゃんと最初から慧に属する教えの聴聞理解、観察をやり、
仏弟子であるならば師匠の釈尊の説法でそれを学んでいるから、その成果で 解脱も得られているわけです。
もちろん最後に最高の智慧が成果として得られるれるわけです。
その成果の智慧とは何かというと、結局は漏尽智と言われるものであり、煩悩から解き放たれた解脱をするということですね。
じゃあ慧というのはこの最後の成果のことだけを言うのかと言うと、それはおかしな話になります。
それだと戒と定を一生懸命やったら慧が得られるという話になり、 だったら外道と何が違うんだ?という話になります。
外道と異なるのは戒と定だけじゃなく戒・定とともに慧という正しい真理を理解認識して観察するという修行がちゃんとあるのです。
戒定慧の相乗効果です。
だから順番は順番でも順番の捉え方が おかしいのですよ。
今回シュダオンの話を出したのはもちろん阿含宗のトレンド用語でもあるからですが、
阿含宗が教えを軽視してやたら瞑想技法みたいな ものにしか興味を示さない信者さんに対して、
教えの大切さ、理解認識の大切さというものを再考して欲しいと思って書いたわけです。
別にペテン大作さんは理解しなくても構わない。
0376ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:01:05.79ID:OUeoqTHK
>>374 神も仏も名無しさん 2021/01/16(土) 22:44:51.78 ID:bMCECiQo
>論文に書いてあります。

なるほど自分の言葉で説明できないんですね。

>経典の作者(釈尊ではなく実際に書いた人)によって書き方が違うのでしょう。
>それだけの話です。

いいえ、どちらも釈尊の言葉です。
釈尊は一つの事をいろんな角度から 話す人ですからねもともと。
相変わらず仏教のこと全然知らないんですね。
沙門果香にあるように 阿闍世王と 対話をして 阿闍世王に仏教の果報を説明したのも釈尊ですし、
八正道を説明したのも釈尊です。
もう一度聞きます。 二つあるんですか?一つ何ですか? 二つは結局同じものなんですか?違うものなんですか?
0377ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/16(土) 23:06:56.47ID:OUeoqTHK
>>373 神も仏も名無しさん 2021/01/16(土) 22:36:18.97 ID:bMCECiQo
>指ちゃんの作文は独り言?
>何か自分に向けて書いているみたいですね。

いいえ常に阿含宗の信者さんがいたらその人が読むことを想定して書いています。
はっきり言ってこの作文こそ阿含宗スレとして阿含宗の批判として必要なものです。
逆に必要でないものはペテン大作さんとのいつまでも延々と議論ゴッコみたいなものを続けることです。
そんなものにばかりスレを消費していたらどういうことになると思いますか?
こちらがやりたい、訴えたい阿含宗の批判というものができなくなるじゃないですか?
だから私はそう思っていないが、あなたのことを、この批判スレを妨害しようという職員の仕業なんて説も出てくるんですよ。
だから私はあなたを無視してでも独り言と言われてでも 必要だと思うことは書くわけです。
0378ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:08:00.79ID:OUeoqTHK
だからペテン大作さんのお相手ばかりしていたら、それはこちらの負けみたいな話になってしまうんですよ。
やはりこちらはこちらのペースでやらないとね。
0379ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:09:56.93ID:OUeoqTHK
ペテン大作さんの方こそ、なに独り言書いてるの?それが阿含宗と何の関係があるの?
と信者さんでも理解できないですよ。
0380ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:12:35.09ID:OUeoqTHK
そうかわかった!
ペテン大作さんは 昨日私の書いたシュダオンの話の内容が理解できないんだ。
阿含宗とどう関連付けてどう批判しているのかが理解できないんだ。
0381深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/16(土) 23:26:58.84ID:PMvUeeuK
>>371神も仏も名無しさん2021/01/16(土) 22:18:03.68ID:bMCECiQo
>水野博士も原始仏教入門(佼成出版社)で述べているように、
>三学も八正道も一応は戒→定→慧の流れで進むのです。

またペテン大作さんの恒例の引用のゴマカシ、嘘が始まった。
いかにも戒定慧の順序を学者が説いているかのような書き方だが、嘘で、
また彼の捏造です。

「この見方によれば、三学は、戒→定→慧の順序に実践され、獲得されることになる。
しかし、・・・」(『原始仏教入門』水野弘元、82ページ)
と、水野氏は一つの「見方」では順序と取れると述べながら、この後に別な観点を述べて、
「この点からすれば、三学は先後の関係はないとも言える」
と戒定慧は順序ではないとはっきりと述べています。

八正道についても同様の説明で、
「・・・順序があるかというと、後の説明にもあるように、一応は、
右の列挙の順序に進むべきものとも考えられるが、また、別な見方からすれば、
八つは同時存在であって、その先後はないとも考えられる。」
と、順序であるなどと書いていません。

ペテン大作さんは、他の人はこんな本は持っていないだろうとばかりに、
こういう嘘、捏造を平気でする常習犯です。
この本のインチキ引用をこの間ばれたばかりで、またやった。
他の信者さんたちはどうですか、こうやって隙あらば、
人を騙そうとするのが、阿含宗で長年修行した先達様なのですよ。
0382ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:33:04.61ID:OUeoqTHK
374 神も仏も名無しさん 2021/01/16(土) 22:44:51.78 ID:bMCECiQo
>もう一度確認しますが、戒定慧の三学の修行道と八正道と言う二つのコースがあるのですか?

経典の作者(釈尊ではなく実際に書いた人)によって書き方が違うのでしょう。
それだけの話です。

いや本日一番の大笑いというよりも近年稀に見る大笑いですね。
こちらのギャグなんか全く敵いませんw
0383ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:43:49.34ID:OUeoqTHK
私の書いている話が独り言と見えてしまうのはペテン大作さんが結局自分の言葉では何一つ仏教を語れない からなんでしょうね。
学者の論文を学者の言葉の通り引用しないと説明できないわけです。
そういうのは説明と言いません。
それを自分の言葉で説明するということはできないわけです。
ということはどういうことかと言うと、実は学者の説も理解していないということです。
理解していたらいくらでも噛み砕いて説明ができます。
螺旋的修行道という単語が書いてあった。
じゃあ何と何がどう螺旋状になるのかということは 自分で説明しない。
その論文に書いてありましたね。戒よりも前に実は慧があると。
0384ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:48:07.19ID:OUeoqTHK
ペテン大作さんは 沙門果経にある阿闍世王との対話は、釈尊ではなく、それを書いた作者の作り話とでも思ってるのかしら?
0385ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/16(土) 23:49:09.42ID:OUeoqTHK
また八正道についても釈尊ではなくそれを書いた作者の作った話とでも思ってるのかしら?
0386神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/17(日) 03:25:00.55ID:4uvc7VrN
>>359
岩波仏教辞典第二版
【四向四果】
原始仏教や部派仏教における修行の階位で、預流向・預流果、一来向・一来果、
不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果のこと、〈向〉は特定の果に向かう段階、
〈果〉は到達した境地を示す。向と果の対(双)が四種(四双)あるため、総計で
ハ種の段階にある人という意味で、〈四双ハ輩〉ともいう、〈預流〉とは聖者の
流れ、すなわち見道位に入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生まれかわれば
悟りを開く位、〈一来〉とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位、〈不還〉は
欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位、〈阿羅漢〉は今生の終りに悟り
〈涅槃〉に至り再び三界には生れない位をいう、この位に到達した者を〈無学〉
といい、これ以前の聖者(七輩)を〈有学〉という。
0387神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/17(日) 09:59:51.91ID:rY/KcbCH
岩波仏教辞典第二版の四向四果の説明は、原始仏教と部派仏教の四向四果の説明です。
原始仏教の四向四果と、部派仏教の四向四果は違うのです。部派仏教は、俱舎論の四向四果になります。見道位の用語が出た時点で、それは俱舎論になります。
0388深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 10:01:17.43ID:U/2MVvDS
>>359神も仏も名無しさん2021/01/16(土) 10:01:12.82ID:cQQmkziR
>ところが、四向四果についての、深山・ユビキタ説は、シュダオン向もシュダオン果もシュダオンの聖者だといいます。
>勿論それは、桐山本とは違いますし、仏教辞典とも違います。

アラカンポ先生の慢性病の一つ「預流向≠聖者」です。
ここにいる三人にはいつも共通点があり、その一つが
どんなに証拠を示されても、絶対に自説の間違いを認めない。
そして、相手が呆れて黙るまで、同じ自説を何年でも繰り返す。

四双八輩の一つである預流向は聖者なのか、聖者でないのか、
これは実は阿含宗の大問題なのです。
教義に重大な影響を与えます。
なぜなら、信者さんたちが聖者かどうかの分かれ道なのです。
釈迦仏教や阿含経では「預流向=聖者」であることは、>>386
引用された岩波仏教辞典の「聖者(七輩)」で十分です。

阿含宗では、信者さんたちは預流向であると桐山さんも書いているから、
信者さんたちは「阿含宗聖者」なのです。
知っていましたか?
信者さんたちは「阿含宗聖者」なのです!!
私が馬鹿にして言っているではなく、仏教では「預流向=聖者」ですから、
預流を目指している預流向であると阿含宗が認定している信者さんたちは阿含宗では聖者です。
もちろん、阿含宗が聖者をタダでくれるはずはない。
0389神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/17(日) 10:06:17.48ID:rY/KcbCH
桐山阿含宗の四向四果は、阿含経(原始仏教)の四向四果であって、部派仏教(俱舎論)の四向四果ではありません。部派仏教の四向四果の定義は、見惑と修惑を持ち出して、阿含経の四向四果とは全く違うものにしています。
説明を省きますから各自、調べてください。
0390深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:06:19.78ID:U/2MVvDS
*信者は阿含宗聖者か?

現実の阿含宗では、預流という聖者を目指せと言っているだけで、
阿含宗の預流向である信者さんたちを聖者とは認めていない。
阿含宗ができてから四十年以上もたつのに、公式に預流と認められた人は
一人もいないという奇妙な話です。
桐山さんが本で、預流が出ているなどと書いているが、
それなら、きちんと本人に伝えるべきで、また本人の名前は出さなくても、
伝えたことを公表するべきです。
だが、今にいたるまで、ただの一人も預流を認めてもらった人はいません。
何よりも、教団のトップである中僧正様やF田管長さんが
預流になったと宣言さえもしていないのはおかしい。

信者さんたちが預流向なのに、阿含宗が聖者と認めないのは、聖者という肩書を
阿含宗がタダでくれるはずがないというのが一番の理由だが、
同時に、『仏陀の真実の教えを説く[上]』では明らかに、
「預流向≠聖者」と読めるからです。
だが、桐山さんは下巻に阿含経を引用して、「四双八輩=聖者」として
いるのだから、「預流向=聖者」です。
つまり、
●桐山本に預流向について正反対の記述がある、
のです。
アラカンポ先生はよほど桐山さんに恨みがあるらしく、
一年の内、300日はこの桐山さんの矛盾を指摘し、
今日もさっそく>>387で書いています。
三人以外の信者さんたちは、阿含宗での教義をまず学びましょう。
0391深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:10:22.10ID:U/2MVvDS
四向四果(四双八輩)ついての一般常識
A「預流向・預流果、一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果」
B「預流、一来、不還、阿羅漢」
C「四向四果=聖者」

ABCは普通の分類と定説で、学者の間で異説を見た事がありません。
わざわざAとBに分けたのに理由がありますから、まず信者さんたちは
両者を別物として記憶してください。
余談ですが、Bを四沙門果としたら、アラカンポ先生からクレームが
ついたが、阿含宗でもBは四沙門果で、彼は教義を知らないようです。
桐山さんは四向四果を次のように分類した。

桐山説「預流、預流果、一来、一来果、不還、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果」
(『人間改造の原理と方法』181頁からのまとめ、1977年)

ABと桐山説を比較して、信者さんたちは桐山説を理解できますか?
桐山説ではAとBがグチャグチャに混ざっているばかりか、
唐突に「阿羅漢道」が出てくる。
「阿羅漢道=阿羅漢向」ですから、言葉としては間違いではないが、
それなら、最初の預流は預流道とするべきです。
なんで預流向(=預流道)の所に預流が来ているのか??
桐山説は支離滅裂で、意味をなさない。
さすがのアラカンポ先生もこの桐山さんの記述には屁理屈が
付けられず、次のように調査不足と逃げた。

>151神も仏も名無しさん2018/08/24(金) 16:00:43.82ID:sJDcIfdI
>人間改造の原理と方法の本は1977年発行だから、四向四果の調査が不十分であったと言える。

だが、求聞持脳を持ち阿含経を体得していた桐山さんが調査不足なんてはずがない。
アラカンポ先生でさえも四双八輩の意識を持つことが大切だと説いている。(>>360-361)
それなのに開祖自らが四双八輩を理解していなかったというのは困ったことですよね。
0392深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:14:33.48ID:U/2MVvDS
水野説「須陀洹道、須陀洹果、斯陀含道、斯陀含果、阿那含道、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果」
(『原始仏教』水野弘元、212-213ページ)

桐山さんは桐山説の元となった文献を示していて、それが上記の水野氏の本です。
「須陀洹道=須陀洹向」「須陀洹=預流」ですから、水野説はAそのままです。
水野説と下記の桐山説を比較してください。
全然違いますよね。

桐山説「預流、預流果、一来、一来果、不還、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果」
(『人間改造の原理と方法』181頁からのまとめ、1977年)

水野説を参考にしたのなら、そのまま引用すればいいのに
どうして桐山説はこれほど違うのでしょう?
信者さんたちはどう思いますか?

これは桐山さんの理解力の問題、頭の程度です。
水野説という教科書を読んだ桐山さんの理解内容がこの桐山説です。
質問に対する回答なら間違うこともあるだろうが、水野氏は回答そのものを
書いているのに、その回答を桐山さんは理解できなかった。
桐山さんは問題を出されて回答を間違ったのではなく、答を示されても、
それが理解できなかった。
それだけならまだしかたないが、自分では良く理解したつもりで、
つまり知ったかぶりで間違った説明を書いた。
いかに桐山さんの理解力が低いか、また慢心が強いか、こういう一例でもわかるのです。
0393神も仏も名無しさん
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2021/01/17(日) 10:17:29.67ID:rY/KcbCH
端的に言うと、深山ユビキタスの預流向=聖者説は、部派仏教(俱舎論)の四向四果説です。見道位をある程度修行した者を預流向としているのです。ですが、釈迦のいう預流向とは、新米信者から預流になるまでは、預流向なのです。
0394ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 10:19:03.69ID:ra6LeHQN
>>389
見惑→見道、修惑→修道の話と四向四果の聖者の問題とは関係ないですよ。
理知上の間違い、迷いが見惑で、三結がこれにあたります。
ゆえに三結を断つことは見道になります。
欲貪、瞋恚のように情意の習慣性の問題が修惑で修道がこれを対処すると分類整理したわけです。
しかしどちらも仏道ですよ。
仏道修行者は皆聖者です。
それともあなたは見道は未聖者にするのですか?
0395深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:19:11.04ID:U/2MVvDS
桐山説「預流、預流果、一来、一来果、不還、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果」
(『人間改造の原理と方法』181頁からのまとめ、1977年)

桐山さんは、
・回答が目の前にあるのに理解できなかった、
・理解できないのに、頭が良いつもりで、間違った解釈を他人に説教した。
学者の説明の意味も理解できないのに、自分では理解できたと自惚れて、
AとB(>>391)をグチャ混ぜにして出したのが桐山説です。

信者さんたちは驚きませんか。
桐山さんがこの本を出した頃は、求聞持法によって求聞持脳という
高度の知性を持っていたばかりか、阿含経から成仏法を体得して、
仏陀の智慧というキラキラの知性を持っていると自称していた。
また、阿含経を何晩も徹夜して読みふけり、これを知識としてだけでなく、
実際に体得したと宣言していた。
高度な知性を持っていると宣言していた桐山さんが
教科書に書いてあることをそのまま理解することができなかった。
たぶん水野氏の四向四果の説明は、中学生なら理解して、正しい答を書きます。
ところが、求聞持法や仏陀の智慧を体得して、
「事物の明確な認識と予知」(『阿含仏教超能力の秘密』57−61頁)
を持つはずの桐山さんは、中学生でもわかる内容を理解できなかった。

信者さんたちに現実を良く見てほしいのは、桐山さんには
世間よりも高い知性があったというのは嘘だという点です。
信者さんたちは様々な疑問を持っても「桐山ゲイカは凡人の智慧ではなく、
高度の仏陀の智慧で判断されたのだ」と自分の知性を押し殺す。
こちらが仏教の教法とは違いと学者の解説を示しても、
「学者はただ頭で考えただけ。桐山ゲイカは間脳を開き、
霊性で読んで、体得したのだ」と言うでしょう。
間脳でも霊性でも、正しく理解しているのなら結構な話だが、
現実はごらんのように、桐山さんの理解力は中学生以下です。
0396深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:24:24.30ID:U/2MVvDS
水野説「須陀洹道、須陀洹果、斯陀含道、斯陀含果、阿那含道、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果」
(『原始仏教』水野弘元、212-213ページ)
桐山説「預流、預流果、一来、一来果、不還、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果」
(『人間改造の原理と方法』181頁からのまとめ、1977年)

信者さんたちは両者を比べて、桐山さんの回答の何がまずいか、
彼が何を理解していないか、わかりますか?
学者はAとBを混ぜていない。

A「預流向・預流果、一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果」
B「預流、一来、不還、阿羅漢」

だが、桐山さんはAとBを混ぜている。
これが混乱の始まりです。
なぜAとBがあるのか、前にも説明しました。
釈尊はBしか説かなかった。
ところが、後世のアビダルマ仏教が、「預流に向かう」を預流向、
「預流の果を得る」を預流果と置き換えた。
アラカンポ先生が釈迦仏教とアビダルマ仏教の違いだなどと、
知ったかぶりの空想論を出しているが(>>389)、
四向四果の分類自体がアビダルマですから、無意味な主張です。

四向四果は同じ内容であるのに、AとBの二種類の記述があり、
しかも、両者は混ぜて使うと矛盾を生じる。
だが、桐山さんはそんなこともわからず、知ったかぶりで、
意味不明の桐山説を文字にしてしまった。
仏陀の智慧を持つという桐山さんは死ぬまでこの違いを理解していませんでした。
その証拠が次です。
0397神も仏も名無しさん
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2021/01/17(日) 10:24:35.02ID:rY/KcbCH
人間改造の原理と方法・本の四向四果の説明は、まだ研究が不十分な頃の説明ですから、それを今、取り上げて云々するのは公正ではありません。
0398ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 10:25:30.98ID:ra6LeHQN
>>393
いいえ新米のペーペーの修行者でももうすでに見道にも修道にもどちらも取り掛かっています。
やはりあなたは見道を先にやって、その後修道に進むと捉えているのですね。
ペテン大作さんの戒定慧順番説と同じお笑い説です。
違うんですよ。どちらもスタートは同じです。
ただ理知上の迷いの方が早く理解できて解決する。
それに対して情意上の習慣性のあるものは、なかなか悪い習慣が抜けないものですよね。
それでまあ通常は三結の見惑の方が欲貪や瞋恚よりも早く断ててシュダオンになるということです。
もう入門時から見道、修道どちらにもとりかかるのです。
0399深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:31:13.64ID:U/2MVvDS
「須陀洹(須陀洹果)
を得ても、さらに上の境界の聖者・斯陀含(斯陀含果)をめざして修行していく(転進する)人が
いますが、これを斯陀含向といいます。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 中』199頁、2012年)

桐山さんは「須陀洹=須陀洹果」「斯陀含=斯陀含果」と書いています。
つまり、死ぬ4年前の2012年でまだAとB(>>369)を混ぜて使うほど無知だった。
AとBを混ぜて使っているのは、混ぜれば矛盾が生じることさえも
気が付ない程度の知性だったからです。
さらに桐山さんは次のような珍説を展開している。

「斯陀含向は斯陀含に向かっているものの、まだ須陀洹の範疇ですから、当然のことながら、天
上界と人間界を数度往来します。」
(『仏陀の真実の教えを説く [中]』200ページ)

つまり、斯陀含向(一来向)はまだ須陀洹(預流)だというのだから、
「斯陀含向=須陀洹=須陀洹果」です。
この桐山説に従い、A(>>369)を書き直すなら、次のようになる。
0400深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:39:05.44ID:U/2MVvDS
桐山説A「須陀洹向・須陀洹果、須陀洹果・斯陀含果、斯陀含果・不還果、不還果・阿羅漢果」

桐山説に基づくなら、こんなふうに意味不明になる。
桐山説では「須陀洹果=須陀洹=斯陀含向」だから、他の階位にも適用
するなら、次のようにも書ける。

桐山説A「須陀洹向・須陀洹、須陀洹・斯陀含、斯陀含・不還、不還・阿羅漢」

繰り返しの部分を省略するなら、

桐山説A「須陀洹向、須陀洹、斯陀含、不還、阿羅漢」

これでは四向四果ではなく一向四果、四双八輩ではなく四双五輩で、支離滅裂です。
桐山さんの主張どおりに「須陀洹果=須陀洹=斯陀含向」を
AやB(>>369)に当てはめると、こういう結果になる。
いかに桐山さんの主張がデタラメか、これを見てもわかります。
これが2012年というのだから、桐山さんが阿羅漢になって十年以上も
たってからの解説です。
昔の本は「研究が不十分」(>>397)だったとアラカンポ先生は
言い訳を書いているが、桐山さんはその説を撤回や修正をしたことがなく、
晩年の2012年でも似たような支離滅裂な主張していたのですから、
アラカンポ先生の言い訳は成り立ちません。
0401ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 10:39:47.23ID:ra6LeHQN
>>397
人間改造の原理と方法は1977年の発行ですが、阿含宗の立宗が1978年4月です。
つまり阿含宗立宗直前なんですが、桐山さんは阿含経を読み直してその価値を知って、
そこからそれまでの桐山密教ではなく 阿含宗を立宗すべきかどうか3年間逡巡したと書いている。
1977年ならば もう完全に阿含経をマスターしていたはずであり、またその著書の内容、志向も実はもはや
後の阿含密教いまと変わらぬ内容になっています。
それに深山さんも指摘しているように もうすでに密教時代に求聞持聡明法を マスターしていて天才になっているはずです。
それが水野氏の論文を 読んでも理解できない頭脳だったと 指摘しているわけです。
0402深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:45:37.64ID:U/2MVvDS
桐山主張「須陀洹果=須陀洹=斯陀含向」

桐山さんが何を間違ったかは、すでに説明したとおりで、AとB(>>369)を混ぜたからです。
「須陀洹果=須陀洹」などと言い出したら、桐山説A(>>400)のように、
支離滅裂な矛盾が生じてしまう。
つまり、上記の桐山主張は間違いというか、嘘です。
桐山さんは晩年の2012年でもまだ四双八輩を理解できずにいたのです。
その結果、とんでもない間違いをしたのが、最初に書いた聖者についての記述です。

「もうすでに聖者に向かって、一生懸命に修行しています。・・・(中略)
須陀洹にどんどん向かっているのですからーーこれを須陀洹向といいます」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義 上』373頁、2007年)

この桐山さんの文章から、
・信者たちは須陀洹に向かっている須陀洹向、
・「須陀洹向≠聖者」、
と述べているのがわかります。
そこで、四向四果についての仏教の常識を思いだしてください。(>>391)
0403深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:50:38.16ID:U/2MVvDS
>399修正
正 つまり、死ぬ4年前の2012年でまだAとB(>>396)を混ぜて使うほど無知だった。
誤 つまり、死ぬ4年前の2012年でまだAとB(>>369)を混ぜて使うほど無知だった。

>402修正
正 桐山さんが何を間違ったかは、すでに説明したとおりで、AとB(>>396)を混ぜたからです。
誤 桐山さんが何を間違ったかは、すでに説明したとおりで、AとB(>>369)を混ぜたからです。
0404深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 10:57:51.74ID:U/2MVvDS
C「四双八輩=聖者」(>>391)

仏教では四双八輩がすべて聖者です。
四双八輩の中に須陀洹向(預流向)も含まれますから、「須陀洹向=聖者」です。
このことは、桐山さん本人が下巻で次のように経典を引用しています。

「・・四双八輩の人々が如来の弟子ある聖者・賢者たちであり、・・」
(『仏陀の真実の教えを説く [下]』184ページ)

つまり、桐山さんは上巻では「須陀洹向≠聖者」と書き、
下巻では「須陀洹向=聖者」と書いた。
言うまでもなく、下巻ほうが正しい。

シリーズの上巻と下巻で正反対のことを書いているのです。
どうしてこんなことになったかは前に説明したとおりで、
下巻の原稿は桐山さんが書いたものではないからでしょう。
桐山さんは四双八輩を最後まで理解できなかったが、原稿を代筆した職員は、
桐山さんのこれまでの説や上巻と矛盾することも気が付かず、
また、阿含宗の商売にも支障が出ることも予測せず、
経典をそのまま引用したとみれば筋が通ります。
もっとも、下巻を書いた時の桐山さんは頭がボケており、
矛盾に気が付かなかったという説でもかまいません。
0405深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 11:05:29.62ID:U/2MVvDS
上巻は2007年に出ているが、その元となった文章が機関誌に載ったのは、
『ダルマチャクラ』69号、1995年で、しかもその講義文の元となった等見品を
桐山さんが例祭で講義したのは1983年です。
『人間改造の原理と方法』の1977年に近い時代で、桐山さんが昔
四向四果を理解できないまま述べた内容が、上巻にそのまま残った。

一方、下巻の遊行経の講義は、実際には行われず、桐山さんが死ぬ少し前に
「書き下ろし」と称して、職員が原稿を書いたものでしょう。
遊行経が機関誌に連載されたのは2015年、つまり桐山さんが死ぬ前年からです。
つまり上巻と下巻の問題の部分は筆者も違うし、時期も三十年近くも開きがあるのです。

あのヨレヨレ状態の桐山さんが、2013年から死ぬまで、三年間に
わたり、毎月定期的に一度も欠かさず、阿含経講義を書いたばかりか、
死んだ2016年には、定期分とは別に特別講義と称して、
二度も別な阿含経解説まで書いているのです。
さらには、死んだ時も、七道品経などの残りすべての原稿が出来ていた!
突然死んだのだから、原稿が途中で終わっていてもいいはずなのに、
さすがは95歳の超人桐山ゲイカだけあって、きれいに完成してから死んだ!
これを見ても下巻の遊行経など新しい部分は職員が書いたのがバレバレです。
これからも開祖霊愉による講義とか、古い原稿が発見されたなどと嘘をついて
新しい阿含経講義を出しても、愚かな信者たちは信じるでしょう。
0406深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 11:12:38.36ID:U/2MVvDS
「・・四双八輩の人々が如来の弟子ある聖者・賢者たちであり、・・」
(『仏陀の真実の教えを説く [下]』184ページ)

「預流向=聖者」を阿含宗が認めるわけにはいかない。
阿含宗の信者は聖者だということになってしまうからです。
聖者という大事な商品をタダで渡すはずがない。
それでは阿含宗の商売が成り立たない。
だから、信者は預流向であり、聖者である預流に向かっている、
としか言いようがないのです。
だが、仏教では、預流向は聖者です。
だから、阿含宗の信者さんたちは聖者ということになります。

もちろん、ここにいる三人も阿含宗聖者様です。
アラカンポ先生ははっきりと須陀洹を名乗っていますし、
本人は、すでに神通力を得た阿那含であると自覚していることを
何度も強調していますから、彼は阿含宗の阿那含聖者様らしい。
ペテン大作さんは憎しみでスレ違いなことを十年以上にもわたり
執念深く書き続ける阿含宗聖者様です。
宝生創価センセは自前の守護霊を持ち、中僧正様が大嫌いなのに
彼女から離れられない阿含宗聖者様です。

上巻「預流向≠聖者」
下巻「預流向=聖者」
アラカンポ先生は上巻と下巻の矛盾を激しく指摘したいらしく、
毎回、この話を持ちだす。
桐山ゲイカは矛盾を書いたのだから、アラカンポ先生の
指摘はもっともで、彼は案外正義感が強いのかもしれない。
0407ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 11:18:04.58ID:ra6LeHQN
ところで先週は関東別院で阿含宗本庁理事長和田靖壽中僧正なる方の法話があったわけですが、
その中では>>269に示したとおり、今皆さんは聖者への道を歩まれている、 次はシュダオンになることですよ、 と話していたわけです。
聖者への道と言っているのだから、まだ聖者になっていないということです。
しかし言葉のニュアンスとして、もうすでに歩まれていると言っているのだから、
これは要するにあなた方は特別な存在なんですよと言っているわけです。
阿含宗だけが破滅のカルマを倒してその達成の過程においてシュダオンの聖者にもなれるのだと
関係のない話をくっつけてるわけですが、それはさておき、 皆さんがなされている破滅のカルマを断つという行為は実に聖なる行いだ
と示して 信者を鼓舞していると解釈できますよね 。
そして阿含宗お得意の三福道ですが、聖衆においての聖衆だって実はそういう意味でしょ?
やれシュダオン果を得たかどうかというライン分けのではなくて、この聖業に携わっている者が皆聖衆なのだという考え方でしょ?違いますか?
だから本当の仏教における四双八輩皆聖者というのも、破滅のカルマを断つなんて話は少しもありませんが、
己の煩悩を断つために邁進しているという点では、 まだ三結が断てていない預流向さえも聖なる衆であるとそういう意味なんですよ。
だから阿含宗の信者でそれが理解できない人間はいないはずなんですよ 。
アラカンぼ先生以外は。
0408ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 11:31:55.86ID:ra6LeHQN
全国高校サッカー選手権大会が先週終わりましたが、あの高校サッカーのテーマ曲で「ふりむくな君は美しい」というのが昔からありますね。
振り向くなよ♪うつむくなよ♪
君は♪美しい♪ 戦いに敗れても♪
君は美しい♪

戦いに敗れてもとは、サッカーとは競技なんだから必ず勝つ方と負ける方があるわけです。
負けたチームはサッカーをやっていなかったということではありませんよね。
だから勝ち負けはさておき一つのボールを追いかけて一心にサッカーに励む姿、それは美しいと称えた歌です。
昨年はNHK の朝ドラでエールをやっていましたが、モデルとなった 古関裕而 は全国高校野球選手権大会の歌として、
栄冠は君に輝くを残してそれがドラマでも歌われましたよね。
栄冠は君に輝くも、その君とは実は優勝チームだけでなく高校野球に取り組んだ者全員に対して輝くものなのだそうです。
だから四双八輩は皆聖賢の衆というのは それと同じことなんですよね。
仏教の修行に励む者は皆尊いのだと したわけです。
達成の話ではないんですよ。修行が完成したかどうかの話ではない。
ここで言う聖者とは完成者ではなく聖なる道を歩む者です。
0409ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 11:34:41.67ID:ra6LeHQN
ただ一応教団としてはランク分けと言うか、達成目標と言うか、それははっきり残してしておきたいので、
桐山センセも和田センセも聖者への道として聖者の道とはしなかったのです。
0410ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 11:40:23.59ID:ra6LeHQN
あ、アラカンポ先生は先週の和田理事長の法話なんてライブ配信でも聴いてなかったかw
だから和田局長なんて書いてしまったわけだしw
0411神も仏も名無しさん
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2021/01/17(日) 11:59:41.68ID:sml7hloc
>>381

>八つは同時存在であって、その先後はないとも考えられる。」
と、順序であるなどと書いていません。
>ペテン大作さんは、他の人はこんな本は持っていないだろうとばかりに、
こういう嘘、捏造を平気でする常習犯です。

水野博士は同時存在も考えられると述べただけです。
あなたが引用した文章の続きには

「ただ、実際にこれを獲得する場合には、戒→定→慧と進むのが合理的である。」
(同書82頁)

と書いてあります。
深山さん、この文章を隠したら駄目ですよ。
だから、実際に修行するには順序があるのです。

深山さんは、他の人はこんな本は持っていないだろうとばかりに、
こういう嘘、捏造を平気でする常習犯です。

しかし博士の言葉に依らなくても大般涅槃経では釈尊自身が、
戒定慧→解脱の順に進むことを繰り返し述べている。
前に引用したからあなたもよくご存知でしょう。
だから、三学や八正道には順序が無いというあなた方の主張は嘘なのです。
0412神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/17(日) 12:06:00.98ID:sml7hloc
>116 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:59:44 ID:s8pu1w+h
><漏尽(ろじん)通>は自己の煩悩(ぼんのう)が尽きたことを知る能力
(『岩波仏教辞典』)

漏尽通とは煩悩が尽きたことを知る能力だから、
その前に煩悩があって、解脱していないのは当たり前なのです。
汚れ(煩悩)がどれくらい落ちたかを知るには、
汚れを落とすことができなければなりません。
汚れを落とせなければ、
汚れがどれくらい落ちたことを知ることはできないのです。
だから漏尽通で解脱するのです。
0413神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/17(日) 12:38:46.86ID:1doOuDib
★《※【第二の仏陀】桐山猊下が愛人エロ皮さんをナンパした時の告白御霊諭レター》★

【御霊諭】平成元年5/4  色★千景

報告書を読んで君の純粋な気持ちと布教の情熱に感心した。
今までにも熱心な信者や弟子が沢山現れたがその中で君は数少ない一人だ、
「釈迦が桐山靖雄を出現させるために現れた」などという表現は非常に鋭いと思う。
私自身そう思っているが自分では言えない。
今までにこういうことを言ったのは君が初めてだ、君が男であったらとてもよいのだが
女性でも女性でなければできない役がある、弟子になって命がけで修行する気があるなら
弟子にしてあげてもよい。見込みがあると思う、今働いてる所は即時にやめなさい
「抱かれるか殺されるかどっちかにしろ」とか
「☓☓☓☓」などという男の出入りする不浄の場所に君を置いておけない、
良い結果は生じない私が働く場所を紹介してあげる、東京でも仙台でもどこでもよい
又私の法話が十分に聞けるチャンスのある働き場所を紹介する、
私は七月の名古屋例祭が終わったらその夜東京へ帰る、八日(月)の午後、面接する。
但し、道場では君にだけ会うと君がねたまれるから私の修行場所があるから
そこで面接する、打合せをする。私の秘密電話を教える、
その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を入れておきなさい
(今夜にでも)
まず、○○ー○○○ー○○○○へかける(プッシュホン式でなければダメ)交換手が出て
暗証番号を聞くから☓☓☓☓☓☓☓と答えなさい、プッシュホンで押せばよい(口で答えるのではない)
あとは交換手の指示に従って話せばよい又は私は名古屋の名古屋東急ホテル(○○○ー○○○ー○○○)に
六日の夜泊まる、君も名古屋へ泊まって夜十一時頃私の部屋へ電話をしなさい、
その電話で打合せをしてもよい、
東急ホテルでなくてもよいが要するに人に聞かれないで私に電話をかけられる所に泊まればいいわけだ、
翌日七日、午後に東京で面接する、今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい、
名古屋で泊る費用を同封しておく。
(桐山原稿用紙直筆鉛筆》
             
★★猊下ヒューヒュー\(^o^)/
0414神も仏も名無しさん
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2021/01/17(日) 12:39:55.22ID:1doOuDib
エロエロ卑猥ドスケベ
桐山靖雄からお前はシュダオンだ!
と言われて嬉しいですかw
0415神も仏も名無しさん
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2021/01/17(日) 12:42:13.24ID:1doOuDib
私の霊視によると
金の亡者である阿含宗職員は
カネゴンの境地に到達したようだね!
0417ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2021/01/17(日) 13:03:21.97ID:TCYQwN6I
1つだとしたらこうなる。
三学系統修行道=八正道螺旋形修行道だから、実のところ、三学系統修行道も戒→定→慧の順番と言うよりも、
戒定慧錯綜とした螺旋形の修行を進めているということになる。
2つの修行道がそれぞれあるのだとしたらこうなる。
戒→定→慧と進む道と、戒と定と(有漏の)慧が錯綜した螺旋形に進む道があることになる。
すると仏道は必ず戒→定→慧と進むのが常識なのだという話にはならない。
別の道があるのだから。
それともペテン大作さんは三学経典を作った作者が正しくて、八正道螺旋形修行道の経典を作った作者は
間違った解釈をしたとするのか?
ペテン大作さんはこんなことにも気がつけない。
学者の論文を読んで、螺旋形という文字を目にしてなんかわかったような気になり、
戒の前にある慧も有漏の慧と書いてあるのを目にして、無漏の慧(実は成果)ではないからどうのこうのと
実は何もわかってなかったのです。
だから自分の言葉で語れないのです。
0418神も仏も名無しさん
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2021/01/17(日) 13:40:57.18ID:yn4J3/qb
>>405
下巻は、霊視五人衆がヨレヨレだが存命の開祖の霊示・霊諭を
受信して書いたのかも知れぬ。
生前から電波飛ばしたのだろう多分。
阿ゴン臭は電波系だなきっと。
0420深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 18:05:30.61ID:U/2MVvDS
>>411神も仏も名無しさん2021/01/17(日) 11:59:41.68ID:sml7hloc
>深山さんは、他の人はこんな本は持っていないだろうとばかりに、
>こういう嘘、捏造を平気でする常習犯です。

私から昨夜、捏造を批判されて、ペテン大作さんの反応はこの有様です。
三学も八正道もあの順序なのだとまだ主張しているばかりか、
私が下記の文章を隠していると批判した。
そんなことありえますか?

「ただ、実際にこれを獲得する場合には、戒→定→慧と進むのが合理的である。」
(『原始仏教入門』水野弘元、82ページ)

彼はこの本を持っているのだから、上記の文章を持ちだすことは容易に予想した。
なぜなら、彼の国語の読解力では、一行の文章は読めても、
その前後の主張を含めて理解するという頭がない。
また、学者に限らず、文字になっているから正しいなどと思うのは間違いです。
それなら、学者の間での議論など起きなくなる。
信者さんたちも、読む時は「多くの学者が認めた客観的な内容」なのか、
その「学者の個人的な見解や解釈」なのかを区別することです。
では、上記の水野氏の文章はどうでしょう。
0421深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 18:09:31.13ID:U/2MVvDS
「三学の中で・・・(以下、順序とする説明)・・・である。
この見方によれば、三学は、戒→定→慧の順序に実践され、獲得されることになる。
しかし、三学は・・・(以下、順序ではないとする説明)・・・知られる。
この点からすれば、三学は先後の関係はないとも言える、
ただ、実際にこれを獲得する場合には、戒→定→慧と進むのが合理的である。」
(『原始仏教入門』水野弘元、82ページ)

三人以外の信者さんたちは文章の全体を良く見てください。
水野氏の説明は、戒定慧は、
1.この順序なのだという説の根拠を説明して、
2.次に順序という説が成り立たないことの根拠を説明して、
3.最後に順序だとただ断定しているだけです。
順序だという結論を出すなら、2が成り立たないことを説明しなければ
ならないのに何もありません。
1と2は根拠や考察をしているが、三番目の結論には
何の根拠もなしにいきなり「合理的」としているだけです。
「合理的」とあるが、何が合理的なのか書いていない。
説明もなく断定することを合理的とは言いません。
前の二つは考察だが、最後の結論は根拠を示していないのだから、
水野氏個人の独断的な見解です。
0422深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 18:16:36.27ID:U/2MVvDS
「・・・右の八正道の進み方と一致しないことになる。」(83ページ)

戒定慧は順序だという結論は八正道とも矛盾します。
八正道のそれぞれを戒定慧にあてはめ、これが順序なら、
「慧戒定」になってしまうのです。
上記のように、水野氏本人も「一致しない」と矛盾することを認めています。

結局、水野氏の三学についての1と2(>>421)の説明や考察は客観性があるが、
3の、根拠を示さず「合理的」という断定は無意味で、
しかも、三学が順序なら八正道とも矛盾することを水野氏も認めている。
つまり戒定慧が順序だなんて水野氏は何の根拠も示していないのです。
ペテン大作さんが順序説の「合理的」な根拠を示す必要に迫られる。
水野氏本人さえも根拠を書けなかった「合理的」な理由を、
素人のペテン大作さんは知っているらしい。
0423深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 18:20:08.38ID:U/2MVvDS
「慧は、統一した精神によって得られる正しい智慧であり、
また、この智慧によって正しい判断や適切な行動をなすことである。」
(『原始仏教入門』水野弘元、82ページ)

これがペテン大作さんが論拠とした水野氏の慧の説明です。
ペテン大作説では、戒定慧の「慧=漏尽智」だというが、
どこにそんな説明があるのだ?
水野氏は慧の説明をしているが、どこにも漏尽智という説明はありません。
ましてや、慧で煩悩を切るという説明もない。
ペテン大作説では、漏尽智は四諦でした。
上記の説明のどこか四諦(苦集滅道)なのだ?

八正道も同様で、水野氏は、
「八正道も三学に収めることができる」(83ページ)
というのだから、八正道の中に戒定慧の慧があるはずで、
ペテン大作説の漏尽智があるはずです。
しかも、漏尽智で煩悩を切るというのだから、中心に据えられているはずです。
それで、八正道のどこに漏尽智があるのだ?
ありません。
三学にも八正道にも漏尽智で解脱するなど出てこない。
これを見ても、ペテン大作説の、漏尽智や漏尽通で煩悩を切って
解脱するなど真っ赤な嘘です。
それをゴマカスために、順序がどうのと難癖を付けている。
0424深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2021/01/17(日) 18:24:10.59ID:U/2MVvDS
>>411神も仏も名無しさん2021/01/17(日) 11:59:41.68ID:sml7hloc
>だから、三学や八正道には順序が無いというあなた方の主張は嘘なのです

読者の皆さん、またペテン大作さんのゴマカシに気が付きましたか。
彼が示したのは、三学のほうの文章であって、八正道については
何も書いていない。
書いてもいないのに、いかにも書いたかのように見せかけて、
八正道という単語を紛れ込ませて、八正道は順序だとごまかしたつもりです。
どこまでコスカライ男、小汚い男なのだろう。

こういう指摘に、また彼は水野氏の記述を引用して、
八正道も順序なんだと主張するでしょう。
そういう文章があるのです。
だが、そうなると、水野氏個人の説をペテン大作さんが
「合理的」と同様に、説明しなければならなくなる。
視野の狭い彼なら、後先も考えずにやるかもしれない。
0425深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 18:29:18.41ID:U/2MVvDS
「八正道の原語が、八つの部分から成る神聖な道とされていて、
神聖なる道は一つであるから、言語では単数形になっている。」(81〜82ページ)

他の信者さんたちはごらんください。
八正道はバラバラの八つではなく、一つなのです。

念のためにいうが、釈尊は八正道で順序を問われて、順序を説明しています。
しかし、これは何から始めれば良いのかという意味での順序です。
戒定慧も同様で、普通の入口は戒です。
なぜなら、仏道の入門は戒律を授けられることから始まる。
しかし、これは順序ではなく、車がサーキットの中に入る時、どこかの
入口から入るのと同じです。
いったん入ったら、グルグルと周り続けるのであって、一周したら、
入口から出て、入りなおすなんてしません。
何から始めるのかという事と、順序とは別です。
戒定慧や八正道をグルグルと周り続けるのが解脱です。
0426深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 18:33:29.89ID:U/2MVvDS
「八正道の原語が、八つの部分から成る神聖な道とされていて、
神聖なる道は一つであるから、言語では単数形になっている。」(81〜82ページ)

三人以外の信者さんたちは中身を良く考えてみることです。
戒を守らずに定や慧など保てるはずがない。
慧という知性によって、なぜ自分は戒を守らなければならないのか、
定を保たなければならないのかを理解するのだから、
慧がなければ戒も定も続きません。

戒を守るなら、若い女性に夜自分のホテルの部屋に来るように
などと御霊諭を出したりしない。
性欲という煩悩に囚われて、定が破れてしまうし、煩悩に囚われた行為には、
愛人から裁判に訴えられて大恥をかくなどの悪い報いがあり、
大きな苦を受けると、慧で道理を理解するからです。
こんなふうに戒定慧は順序ではなく、三脚のように三者がそろうことで
成り立っていて、この三脚が完全にそろった状態を解脱というのです。
0427深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 18:37:39.44ID:U/2MVvDS
>>412神も仏も名無しさん2021/01/17(日) 12:06:00.98ID:sml7hloc
>汚れ(煩悩)がどれくらい落ちたかを知るには、
>汚れを落とすことができなければなりません。
>汚れを落とせなければ、
>汚れがどれくらい落ちたことを知ることはできないのです。
>だから漏尽通で解脱するのです。

また誤魔化しが始まった。
読者の皆さん、彼の詭弁を良くみてください。
ペテン大作さんのインチキの屁理屈はこうです。

「1.煩悩がないことを確認するには、
2.その前に煩悩をなくさないといけない。
3.漏尽通で煩悩がないことを確認するのだから、
4.その前に、漏尽通で煩悩をなくしたのだ。」

読者の皆さん、彼が何をすり替えて、ごまかしているか、気が付いたでしょう。
1〜3までは正しいこと書いて、最後の4に漏尽通という言葉を
こっそり滑り込ませて、ごまかした。
4は何の根拠もない嘘です。
煩悩を無くすことと、煩悩がないことを確認することを
同一の漏尽智でするなど、どこにもそんな説はありません。
こういう口先のゴマカシを彼はずっと人生で繰り返して、
周囲が彼のインチキに気が付いていることも知らずに、
他人をうまく騙せる自分は頭が良いと自惚れてきた。
0428深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 18:47:13.51ID:U/2MVvDS
>>412神も仏も名無しさん2021/01/17(日) 12:06:00.98ID:sml7hloc
>だから漏尽通で解脱するのです。

ペテン大作さんは漏尽通で煩悩を切り、漏尽通で解脱を確認するのだという。
読者の皆さんは、彼の話が前と違うことに気がつきませんか。
彼は、漏尽智で解脱し、「漏尽智≠漏尽通」だと述べていた。
上のように漏尽通で煩悩を切り、漏尽通で煩悩がないことを確認するのなら、
では、漏尽智のお仕事は何なのだ?
漏尽智はどこに行ったのだ?

彼の好きな沙門果経には漏尽智も漏尽通も出てこないが、
学者が漏尽智という説明書きだけは付けており、
彼はこれを根拠にして、漏尽智で煩悩を切るのだと主張して来た。
ところが、いつの間にか、漏尽智ではなく、漏尽通で煩悩を切ると始まった。
沙門果経には漏尽通は、学者の説明書きさえも出てこないから、
彼の主張の根拠にならない。

ペテン大作解脱には、漏尽智クンと漏尽通クンの二人がいて、
二人とも煩悩をビビッと切ってくれるらしい。
漏尽通クンは一度も沙門果経には出てこない。
沙門果経に漏尽通クンは出てこなくても、ペテン大作さんの目には
煩悩を切っているのが見えて、煩悩がないことを確認までしてくれるという。
一方、漏尽智クンは怠慢で、煩悩がないことを確認もせずにいなくなったらしい。
0429深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 18:51:09.82ID:U/2MVvDS
>>412神も仏も名無しさん2021/01/17(日) 12:06:00.98ID:sml7hloc
>だから漏尽通で解脱するのです。

ご覧のように、ペテン大作解脱は支離滅裂、つまり嘘デタラメです。
だが、信者さんたちに気を付けてほしいのは、これは彼の珍説であると同時に、

桐山カルマ解脱「神通力によってカルマを断ち切り解脱する」

を擁護しようとして行きついた自滅の道だという点です。
嘘の桐山カルマ解脱を阿含経を使ってなんとか擁護しようと
十数年たった結果、支離滅裂な自家中毒を起こした。

これは何もペテン大作さんだけではありません。
桐山カルマ解脱など成り立たないことを示すのは簡単です。
カルマを断ち切るのはアナゴンですから、アナゴンが神通力を持っていることになる。
しかも、仏教独自の神通とは漏尽通のみですから、漏尽通でカルマを断ち切ることになる。
ところが、ペテン大作さんがそれが成り立たないことを示してくれた。
0430深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 18:56:05.33ID:U/2MVvDS
「【漏盡智】あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

漏尽智(=漏尽通)は阿羅漢に属する。
阿那含は漏尽智は持っていないのです。
では、どうやって阿那含はカルマを断ち切って解脱するのだ?
桐山さんは四神足を習得して、カルマを神通力で断ち切って解脱したという。
だから、桐山さんが四神足で漏尽通という神通力を体得した時は
まだ阿那含だったのです。
だが、漏尽通(=漏尽智)は阿羅漢に属するもので阿那含は持っていない。
阿那含の桐山さんは漏尽通を持たないから永久にカルマを切ることも、
解脱もできなかったはずです。

さあ、信者さんたちはこの矛盾をどうしますか?
そこでペテン大作さんは苦し紛れに、「漏尽智≠漏尽通」という
珍説を出して、阿那含が漏尽智を持っているような、持っていないような
適当に言葉を誤魔化しながら、漏尽智で「煩悩」を切り、
漏尽通でないことを確認すると言い出した。
桐山さんは神通力で「カルマ」を切ると言っているのだから、話は違っているが、
もちろん、卑怯者のペテン大作さんはこの点は触れない。
ペテン大作説では、漏尽智と漏尽通の二人がかりで煩悩を切り、
漏尽通で煩悩がないことを確認するのだそうだ。
この珍説でも漏尽智と漏尽通の両方を阿那含が持つことになり、
上記の辞典の解説と矛盾する。
0431深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/17(日) 18:59:22.66ID:U/2MVvDS
桐山カルマ解脱「神通力によってカルマを断ち切り解脱する」
「【漏盡智】あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」

ペテン大作さんは>>121のような自家中毒、自己矛盾に陥ったが、
それを理解するのは人並みの視野の広さが必要です。
幸い、彼は視野が狭いから、自爆したこともわからず、
矛盾だらけのことを今日も吠えている。

他の信者さんたちは普通の視野で物事を見てください。
桐山カルマ解脱、つまり漏尽通でカルマを断ち切るなら、
阿那含が漏尽通を持っていることになり、矛盾する。
これでどうやって桐山さんは解脱したのだ?
この一つだけでも因縁解脱(カルマ解脱)など成り立たないことは明らかです。
0432ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/17(日) 21:18:27.20ID:3A7L4d9L
>>422で深山さんは慧戒定になってしまうと引用記述もしているが、
これはペテン大作さんが以前に 紹介したニカーヤの論文にもそれが書いてあることを
ペテン大作さんは 思い出しましたでしょうか。
私が戒よりも前に慧があると書いたのはそのことです。
私の考えではなくそのニカーヤの論文を書いた学者が書いた話です。
だからそういうことなんですよ。
理解認識は行動の基であり、 これなくして仏道の発心もなければ 精進もありえない。
闇雲に戒律を守って禅定瞑想にふけったからといって何がどうなるのか?
何を求めて戒律や禅定をどう進めていくのか?その意義と目的は何か?
例えば不飲酒戒がありますがそれを課す理由も経典には書いてます。
また修行のとっかかりだけの話ではありません。
目的を果たすためには常に念頭にそれ(慧)がなければならないではありませんか?
ニカーヤの論文を書いた論者はこれを U有漏の慧と表現しましたね。
それはそうですよ。最初から無漏(煩悩がなくなる)なんてことはない。
まずは煩悩がある状態でこれを減らすように教えを理解認識して実践して観察して行かねばならないのです。
だから入門以降常に戒定慧→戒定慧→戒定慧です。
有漏の慧は修道に絶対に必要なんです。最後に無漏となるまで。
無漏となっても戒定慧は死ぬまで継続されます。
だからニカーヤの論文を書いた人が螺旋形修行道と書いたのはまさに秀逸な表現です。
あなたはこれが 我々の主張を裏付けるものであると 気がつけなかったんでしょうね。
私も>>375で戒定慧に全く順番がないということではなく、最初はやはり生活規範を正す戒からとなろうし、
禅定にも段階があろうし、最後の成果は無漏の慧だろうと書いている。
そういう観点で粗く見ると戒→定→慧とも言えないことはない。
しかしその実際は慧→戒→戒定慧→戒定慧→戒定慧→・・・・・→無漏の慧(漏尽智、漏尽きたと知る)→戒定慧→戒定慧→入滅です。
だからあなたがイメージしてる話と異なる。
これが理解できれば、沙門果経は戒も定も慧も相手にわかるように敢えて分けて説明するから
四諦という当初から必須の慧も最後の方に表現されただけの話です。
ならばあの沙門果経の中でどこで解脱がでてきてもおかしくない。
沙門果経は解脱の表現だらけです。
解脱という用語を使わずとも。
0433神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/17(日) 22:04:52.59ID:Q+RiN3a3
>>420〜431
深山さん、これで気が済みましたか?
でも残念なことに、あなたの論理はとうの昔に崩壊しているのです。
あなたがどんなに熱弁をふるったところで、
深山説の一番大事な根拠が間違いなのだから無意味です。
それは、漏尽通の前に解脱したというなら、
比丘は「心が安定し〜確固不動」で解脱していなければならない。
ところがこれは解脱ではなく「八種の禅定において自在になっていること」
(『原始仏教 第二号』片山一良、中山書房仏書林、55頁)です。
片山氏は別の著書(パーリ仏典入門)では「八等至の自在」と述べている。
この解説がある以上、深山説は認められないのです。
私は12年も前から、深山説が正しいというのなら
解脱だと解釈している学者を出して欲しいと何度となく要求した。
ところがあなたはついに一人も出せなかった。
この時点であなたの説は素人の妄想であることが確定したのです。
それを何時まで経っても認めようとしないから、
こうして機会がある毎に書いて差し上げているのです。
深山説はとうの昔に尽きているのです。
あなたがいくら作文を書いたところで無意味なのです。
あなたが男ならば潔く間違いを認めることです。
男ならばです。
0434
垢版 |
2021/01/17(日) 22:42:45.53ID:IXRW4IR6
 ペテンと呼ばれている人は、単純に下記の質問から逃げ回っているだけの桐山教義も知らないただのバカかと。

>430 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2021/01/17(日) 18:56:05.33 ID:U/2MVvDS
>「【漏盡智】あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
>(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

>漏尽智(=漏尽通)は阿羅漢に属する。
>阿那含は漏尽智は持っていないのです。
>では、どうやって阿那含はカルマを断ち切って解脱するのだ?
0435
垢版 |
2021/01/17(日) 22:45:49.22ID:IXRW4IR6
ところで、教団卒業したのに教団から連絡が来た人いますか?開祖誕生会の寄付など。
0436ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/17(日) 23:05:11.07ID:3A7L4d9L
>>433 神も仏も名無しさん 2021/01/17(日) 22:04:52.59 ID:Q+RiN3a3
>あなたが男ならば潔く間違いを認めることです。
>男ならばです。

んー、いつぞやの晩、私との対話で、お互いに主張することはしたのだからあとは読者各自の判断に委ねましょうよと私が書いて、
あなたも自分もそのつもりだと書いたのはやっぱり見え透いた嘘だったんですね。
武士に二言はないなんて言葉もあるけど、これだけ信用ならない態度とり続けて、あんた男なんですか?
んで八等至の自在ですが、そりゃ四禅を完全にやり終えたんだから、
これは八等至の自在ですよ。

Wikipediaの定より抜粋

有心定
有心定には四静慮(四禅、四色禅定、Rūpajhānas)と四無色定(Arūpajhāna)との八定(八等至)がある[1]。八定とは、初静慮、第二静慮、第三静慮、第四静慮、空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想処定である[1]。
これらの定には、それぞれの定に入り終わった段階と、定に近づきつつある準備的入門の前段階とがある[1]。初静慮の前段階のみを未至定(みしじょう)というが、その他は、それぞれの定に近づきつつある前段階のことを近分定(ごんぶんじょう)といい、それぞれの定に入り終わった段階を根本定という[1]。
第四静慮には下下品から上上品までの九品があり、その究極である上上品は色界の定の最高であるから辺際定(へんざいじょう)という[1]。
不時解脱の阿羅漢は、四禅・四無色の八定を順次修めるのではなく、一地を超えて高い段階の定を修めるとされる[1]。これを超定という[1]。

四禅なんだから八等至に決まってるじゃないですか。
あるいは定だからそれは三昧の境地に決まってるじゃないですか。
そしてそれは定として 三昧であり、四禅として八等至の自在であるとして、
なおかつ全体から見てそれは解脱の諸相だと言ってるわけですね。
阿羅漢の解脱の諸相ですね。
私は戒の果報の説明の段階で、占いや呪術などに対して心は離れているというのも
解脱の諸相の一つだと 書いたじゃないですか。
だから三昧の境地も八等至の自在も解脱の諸相の一つであるわけです。
そう書くと分かりにくいかな?
三昧であると同時に解脱である、八等至の自在、禅定の自在であると同時に解脱であると書けば少しは分かるかな?
0437ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/17(日) 23:24:55.39ID:3A7L4d9L
ましてや解脱した阿羅漢の禅定ですよ。
八等至の自在でないはずがないではありませんか?
0438神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/17(日) 23:44:07.94ID:Yb5+jON3
435>>435
辞めて1年後に星まつり護摩札の申込書が郵送されてきました。
阿含宗も集金に必死だなと感じました。
0439ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/18(月) 00:25:50.72ID:DeNdQBhn
有心定
有心定には四静慮(四禅、四色禅定、Rūpajhānas)と四無色定(Arūpajhāna)との八定(八等至)がある[1]。八定とは、初静慮、第二静慮、第三静慮、第四静慮、空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想処定である[1]。

(間略す)

不時解脱の阿羅漢は、四禅・四無色の八定を順次修めるのではなく、一地を超えて高い段階の定を修めるとされる[1]。これを超定という[1]。


んー、四禅だから八等至の自在という言い方は違うかな?
四禅と四無色定の八定が八等至ですからね。
ところが沙門果経の記述は初禅から四禅までです。
そして四禅を終えた比丘の沙門果経のあの記述を片山氏は八等至の自在と書いている。
つまり全禅定の自在ということになります。
これっておかしくありませんか?まだ四禅ごときで。
ところが禅定の自在だという。
だからこれは解脱した阿羅漢だからそうなっているわけで、単なる四禅ではないとわかるのですよ。
ペテン大作さんは解脱ではなく八等至の自在に過ぎないと言いたいのだろうが、
これは逆で、単なる四禅の成果でない成果があるわけなんですよ。
解脱した阿羅漢だから四禅と四無色定の八定を順次修めなくても
超定で高い定、つまり八等至の自在まで行けちゃうわけですね。
だからこれって解脱した阿羅漢の証明になりませんか?
0440神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/18(月) 00:39:46.02ID:E24irVxD
>>434
>漏尽智(=漏尽通)は阿羅漢に属する。
>阿那含は漏尽智は持っていないのです。
>では、どうやって阿那含はカルマを断ち切って解脱するのだ?

ピョン吉さんまで同じ質問とは呆れます。
もう前に答えが出ている。
批判側はレスを読んでいないのかね?
それとも読んでも理解できないくらい頭が良いのか?

「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、
三明六通などの霊能力をも、同時に獲得するとされるのである。
(『原始仏教入門』水野弘元、佼正出版社、231頁)

解脱と三明の獲得は同時だと水野博士が述べている。
ということは、アナゴンが漏尽智を獲得したら解脱=アラカンです。
漏尽智を獲得した瞬間にアラカンになる。
だからアナゴンが漏尽智を持つことはないわけです。
それが答えです。
そしてもっと重要なことは
「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者が」とあります。
これは八等至のことを言っている。
つまり水野博士も片山氏と同じ解釈をしているのです。
水野説と片山説は矛盾していない。
そして中村説とも矛盾していない。
矛盾しているのは深山説だけです。
つまり深山説は嘘八百のデタラメだということです。
これで理解できましたね。
0441
垢版 |
2021/01/18(月) 00:51:44.04ID:lW7IKBo/
>>440
ペテンって呼ばれている人って質問内容も理解できないのですね(笑)
学閥社会の根強い日本で、進学塾自慢するだけの程度ですよね。進学塾の先は未だでしたか?学生さんでしたか?

↓下記の質問ですよ?

>430 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2021/01/17(日) 18:56:05.33 ID:U/2MVvDS
>「【漏盡智】あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
>(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

>漏尽智(=漏尽通)は阿羅漢に属する。
>阿那含は漏尽智は持っていないのです。
>では、どうやって阿那含はカルマを断ち切って解脱するのだ?
0442
垢版 |
2021/01/18(月) 00:55:56.47ID:lW7IKBo/
ユビキタスさんの問いをスルーしたいからってこっちに矛先向けないで欲しいですよね。姑息な。
0443
垢版 |
2021/01/18(月) 01:14:42.16ID:lW7IKBo/
>>438さん

> 435>>435
> 辞めて1年後に星まつり護摩札の申込書が郵送されてきました。
> 阿含宗も集金に必死だなと感じました。

やはりそうでしたか。「去るものは追わずの体制」が変わりつつあるのかも知れませんね…。
0444
垢版 |
2021/01/18(月) 01:21:12.77ID:lW7IKBo/
>>440
>>441補足
桐山教義を知っている上での質問です。
当たり前ですよね、ここは阿含宗に関するスレッドなのですから。
0445神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/18(月) 03:15:25.51ID:NOf9pFGm
己は欠片ほどもやる気が全く無い、仏教徒の修行方法を詳しく語る人達。
其れは何を意味しているのか?
修善奉行、諸悪莫作、この二個は戒めを説くわけで多くの師匠は此処で止める。
何故ここまでで止めるか、それは次の自浄其意を説けないからである。
知らない土地は案内でききゃしないでしょ。
自浄其意が修行方法そのもので肝心要、自らの意識を浄化する何事かを行う。
寿司で言うならシャリの上のネタに相当する。
次が是諸仏教 此の四つを全ての仏が教える。
とこうなる訳で、修善奉行、諸悪莫作、自浄其意、是諸仏教 此れが四偈。
だからして修行をしないでトヤカク云う人は、すし屋の入り口に飾る蝋細工の見本を
論う愚者、やれ海苔巻きが上手、ウニは鮮度が大事、小肌は締め加減とか蝋細工では
な〜〜んにも味がしない、生きてるうちにヤラナイ者が死んでもヤラナイのは当然。
おっと此処で極秘の口伝を漏らす、念仏、真言、題目を唱えて意味あるのは亡者に成る前の
人間に限る。死人、亡者の念仏には効験無し。
0446ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2021/01/18(月) 07:25:23.63ID:DeNdQBhn
諸悪莫作
衆善奉行
自浄是意
是諸仏教

>>445
順番くらい正しく覚えようね。
字も間違えないでさ。
0448神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/18(月) 11:15:02.22ID:yBOUGkCI
>>440
兎飛さんではなくて「う」さんだった。
ピョン吉さんではなかったね。
失礼した。

>>441
>阿那含は漏尽智は持っていないのです。
>では、どうやって阿那含はカルマを断ち切って解脱するのだ?

前に何度も説明しているのに読まないし読んでも理解できないから
同じ質問を繰り返す。
国語の読解力の問題ですね。
平川氏等仏教学者たちが指摘しているように漏尽智の内容は四諦と同じものです。
これは、経典を見ると「もろもろの煩悩を滅する智(漏尽智)」のすぐ後に
四諦の文章が続いていることから間違いない。
四諦は苦集滅道の四つの真理で、比丘はこれを次々にさとる(認識する)わけです。
そして全部さとり終わったときにアラカンとなる。
漏尽智もこれと同じです。
漏尽智を獲得したときにアラカンになる。
だから漏尽智はアラカンに属する。
一方アナゴンは漏尽智を獲得する途中だから漏尽智がアナゴンに属することはない。
漏尽智を持っていないアナゴンがアラカンになるという意味が理解できましたか?

>>442
矛先を向けたあなたの方です。
自分が人の話に割り込んでおきながら矛先を向けるなとは盗っ人猛々しい。
指ちゃんの話がスルーしたいと思うくらい凄い内容だと思っているのだから笑えます。
でその指ちゃんの作文を見てみましょう。
0449神も仏も名無しさん
垢版 |
2021/01/18(月) 11:24:40.52ID:NHFlqfSl
>>434
>だからこれは解脱した阿羅漢だからそうなっているわけで、単なる四禅ではないとわかるのですよ。

今回も八等至がアラカンの禅定だなどと、苦しい屁理屈を考え出した。
指ちゃんは深山さんを何とか援護しようと必死なのです。
彼にはこういう一途なところがあり、また風俗に行ったと告白するなど、
とても正直なところもあって、なかなか憎めないキャラクターではあります。
で八等至ですが

「等至ー身心の平等で安らかな状態。散心から定心に至った段階。
「定心ー禅定の心。心を澄まして一つの対象に心を定めて動かぬ心。」
(広説佛教語大辞典)

等至とは禅定のこと、禅定における心の状態です。
解脱の意味はありません。
だから八等至とは八種類の禅定のことです。
それ以外の意味はありません。
「心の安定」が禅定のことであって解脱の意味ではないのと同じです。
指ちゃんが八等至について色々と想像するのは勝手ですが、
それは妄想に過ぎません。
それは水野博士の説明を見れば分かります。

博士は>>440の中で
「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには、」と述べています。
もし四禅四無色定(八等至)がアラカンの禅定なら、もうさとりを開く必要はありません。
だから四禅四無色定(八等至)はアラカンの禅定ではありません。
せっかく指ちゃんが考え出した屁理屈も博士に粉砕されちゃいました。
残念でしたね。
もうそんなに頑張らなくてもいいですよ。
嘘を書いた責任は深山さんにあり、あなたには無いのです。
だから深山説はこのまま放っておきましょう。
あなたが援護しなくても彼が自分で何とかするでしょう。
0450深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/18(月) 12:05:10.72ID:0jV5GOAP
>>129神も仏も名無しさん2021/01/10(日) 11:44:41.00ID:HJDeyAa+
>さとりを開く(解脱する)のと漏尽明の獲得は同時になります。
>>225神も仏も名無しさん2021/01/11(月) 18:25:35.94ID:FMARpZ2U
>このように三明の獲得は同時ではないのです。
>>440神も仏も名無しさん2021/01/18(月) 00:39:46.02ID:E24irVxD
>解脱と三明の獲得は同時だと水野博士が述べている。

読者の皆さん、ごらんください。
ついこの間、同時なら、ペテン大作さんの順序説と矛盾すると追及され、
その直後に、同時ではないと述べて、自説を撤回したのに(>225)、
また同時だと主張を始めた(>440)。
これがペテン大作さんの得意で、右だと言ったかと思うと、
いつの間にか左になり、また右になっている。
どうして、こんなデタラメな主張をしているかわかりますか?
次の珍説で「瞬間」というゴマカシを根拠にしたいからです。
だが、無駄です。
そもそも水野氏の「同時」は三明がそうであるように、
瞬間という意味ではなく、一連の、連続して、というくらいの意味です。
では、ペテン大作さんの恒例のペテン師ぶりを拝見しましょう。
0451深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/18(月) 12:09:07.42ID:0jV5GOAP
>>440神も仏も名無しさん2021/01/18(月) 00:39:46.02ID:E24irVxD
>漏尽智を獲得した瞬間にアラカンになる。
>だからアナゴンが漏尽智を持つことはないわけです。
>>448神も仏も名無しさん2021/01/18(月) 11:15:02.22ID:yBOUGkCI
>漏尽智を獲得したときにアラカンになる。
>だから漏尽智はアラカンに属する。
>一方アナゴンは漏尽智を獲得する途中だから漏尽智がアナゴンに属することはない。

ペテン大作さんの文章は自説の矛盾をゴマカスために、学者の文章や
名前を羅列して煙に巻くから、それらはカットして、彼の解説のみを読むことです。
それが上記です。
彼は長々と書いているが、彼の主張は上記のみで、後は粉飾です。
これこそが彼がゴマカシやすり替えをしている「瞬間」です。
彼のゴマカシの瞬間芸を見てみましょう。

皆さん、上記の文章の意味がわかりますか?
ペテン大作さんに代わって説明できるか、という質問です。
誰もできません。
彼は「瞬間」という言葉で誤魔化している。
では、その「瞬間」にその比丘は阿那含なのか、阿羅漢なのか?
漏尽智を体得した瞬間は阿那含なのか、阿羅漢なのか?
仏教には四沙門果という分類しかありませんから、
解脱する前後には阿那含と阿羅漢しかいません。
瞬間だろうが一瞬だろうが、阿那含か阿羅漢のどちらかで、中間はありません。
では、漏尽智を体得した瞬間の比丘は阿那含なのか、阿羅漢なのか?
0452深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/18(月) 12:15:02.18ID:0jV5GOAP
>>440神も仏も名無しさん2021/01/18(月) 00:39:46.02ID:E24irVxD
>漏尽智を獲得した瞬間にアラカンになる。
>だからアナゴンが漏尽智を持つことはないわけです。

漏尽智を体得した「瞬間」が阿那含なら、阿那含が漏尽智を持っていることになり、
漏尽智は阿羅漢に属するという説明と矛盾する。
漏尽智を体得した「瞬間」が阿羅漢なら、阿羅漢は煩悩に囚われていないのだから、
漏尽智で煩悩を切る必要がない。

ご覧のように、「瞬間」がどちらでも、漏尽智で煩悩を切るなど成り立ちりません。
「瞬間」などという言葉で誤魔化そうとしても、
このように矛盾を生じてしまい無理です。

ペテン大作さんのゴマカシの手法がわかりましたよね。
彼は漏尽智を獲得した「瞬間」を阿那含だとも阿羅漢だとも言っていない。
阿那含と阿羅漢の間に勝手に「瞬間」という
どちらでもないような中間状態があるかのような作り話をして、
中間状態で漏尽智を獲得するかのようなゴマカシをした。
もちろん、阿含経にも学者の説にも「瞬間」などありません。
0453深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/18(月) 12:20:12.87ID:0jV5GOAP
>>440神も仏も名無しさん2021/01/18(月) 00:39:46.02ID:E24irVxD
>漏尽智を獲得した瞬間にアラカンになる。
>だからアナゴンが漏尽智を持つことはないわけです。

こうやってみればわかるように、ペテン大作さんて、
阿含宗や仏教の議論をしているのではなく、
相手をやっつけるためなら、どんな嘘でも詭弁でも使う。
学者の「同時」という言葉を悪用して、ありもしない「瞬間」を作りだして、
いかにも根拠があるかのように見せかけた。
彼のすり替えの瞬間芸です。

いかにも自説を証明したのを深山だけが理解できないかのように、
>ピョン吉さんまで同じ質問とは呆れます。
>もう前に答えが出ている。
などと、呆れたポーズを取ってみせた。
コスカライ男です。
0454深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/18(月) 12:24:26.44ID:0jV5GOAP
ペテン大作説「漏尽智と漏尽通で煩悩を切り、漏尽通で確認する」

三人以外の信者さんたちは、阿含宗を擁護しようとしているペテン大作説が
成り立たないことがおわかりでしょう?
漏尽智や漏尽通で煩悩やカルマを切るなどと言ったら、
阿那含がこれらの神通を持つしかなくなるのです。
仏教では阿那含の次は阿羅漢で、その間の「瞬間」などありません。
桐山さんでさえも、そんな瞬間など説いていない。
阿含宗を擁護しようとして、ペテン大作さんは
このように次から次と嘘を作り上げるしかなくなったのです。

反論に詰まると、彼は必ず心の安定(統一)の話を持ちだす。(>>433)
学者の解説どころか、釈尊本人が心の安定を解脱だと述べている経典を
何度引用しても、彼には通用しない。
心の安定の話はスレ違いであり、互いに意見が出つくしたのだから、
止めたらどうかと他の人から助言されても、屁理屈を言って、絶対に止めない。
なぜなら、漏尽智でも何でも、彼は議論でビタ負けしているから、
悔しくて悔しくてしかたない。
心の安定だけは、彼は未だに心の安定がなぜ解脱なのか、彼の頭では
意味が理解できないから、自分が勝利していると確信しているのです。
0455深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2021/01/18(月) 12:28:40.27ID:0jV5GOAP
「仏教の本質はカルマを断滅する「力」に尽きる。この力を「漏尽智(漏尽通)」というが、
この力を得るために、釈迦はたいへんな難行苦行を行った。」
(『準胝尊真言行とは』2015年、阿含宗教学部、8ページ)

これが今の阿含宗の教義です。
漏尽智でカルマを断滅するのだという。
ペテン大作さんもこの説を支持しているからこそ、
漏尽智で煩悩を切るのだと十数年にわたり言い続けている。
だが、三人以外の信者さんたちは、その結果としての>>121などの
ペテン大作さんのブザマな姿を見てごらんなさい。

「瞬間」などという言葉で他人を騙して、珍説を唱えて、
「もう前に答えが出ている」などと、いかにも証明したのかのような
ポーズを取って逃げ惑う。
それもこれも、上記の阿含宗のインチキ説を擁護したためです。
これは彼でなくても、誰がやっても同じです。
単に、ペテン大作さんは恥知らずだから、十数年にわたり
同じことをくり返していられるだけです。
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