おそらく今いるところが一乗か?三界か?という分別そのものが
一つの同じ世界を 全く違う価値観で観ると言うことなのだろう

如来は三界を三界と見ずにこれを全て一乗と観るのだろうか?
寿量品の有名な経文には次のようにある

「三界の三界を見るが如くならず。」

お分かり頂けるだろうか?
如来は三界をそのまま三界として捉えないのだという
これこそ三界をそのまま一乗と観るという文証ではなかろうか?

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