但し謗法に至つて浅深あるべし
偽り愚かにしてせめざる時もあるべし
真言・天台宗等は法華誹謗の者いたう呵責すべし
然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし
(乃至)
軽罪の者をば・せむる時もあるべし
又せめずしてをくも候べし
自然になをる辺あるべし・せめて自他の罪を脱れて
さてゆるすべし、其の故は一向謗法になれば
まされる大重罪を受くるなり
彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なりとは是なり。(阿仏房尼御前御返事)

相手によって折伏すべきか摂受すべきかは 
このように「法華誹謗」か?否か?にあると晃は考えている 
権実相対を折伏と摂受の境界線とする文証はこれ
他門流でも同じ宗旨の者は手加減が必要なときもある

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