【仏教】論議講説スレッド【富士門流】
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このスレッドは論議講説によって
仏教の理解を深めようとするスレッドです
^_^ >>106-110
なんの引用もないゴミ我説
^_^ 長いだけで読む価値無し
どこら辺が「自我の消滅」なのか
何回も繰り返したい
^_^ >>98
なるほど、端的な表現でそれはそうかもしれません。 >>111
調べれば解る
お前の勉強不足の証左だよ >>112
理論は説明済み 原始経典を読み込めば解る筈の事を理解しないのは真面目に学んでないか 学力が劣ってて理解出来ないかだから 滅諦の為の故に 道を修行す 諸の苦縛を離るるを
解脱を得と名づく 是の人何に於いてか 而も解脱を得る
但虚妄を離るるを 名づけて解脱と為す
其れ実には未だ 一切の解脱を得ず 仏是の人は未だ
実に滅度せずと説きたもう 斯の人未だ
無上道を得ざるが故に 我が意にも 滅度に至らしめたりと欲わず(妙法蓮華經譬喩品第三)
自我を無くそう無くそうとするのは 未だ方便の説法で
本当の解脱は 無上道の妙法蓮華經を得ることとある
自我を無くす一番の手立ては 自殺なわけだが
それを推奨しているわけではないと 法華経には説かれる
^_^ >>113
苦にしても苦という実体が有る訳じゃなくて苦しみを感じる心が有って苦を感じる訳だから 苦と心が結びついてないと成立しませんからね >>117
心があるからいけない
心を殺そう とでも?
^_^ >>99
空洞というのは確かに頷けます。その通りかもしれません。
それで少し考えましたが、自我の死は即、肉体の死というわけではなく、
自我の消滅の後にこの空洞が残ると思ったわけですが、
肉体が残ってる間は空洞も残ってるようですし、
これはどうやら私の思うところ、肉体もろとも空洞も何らかの形で消滅の必要がありそうですね。
自我の消滅が解脱と私には結論を付けるのは難しいですが、
私が考える解脱というのはどうも3段階になりそうです。
解脱の関所は多そうです。 >>116
だから自殺しても業が滅びて無ければ輪廻するんだって
仏弟子の中で解脱の為に自殺して成し遂げたのは一人だけだ
殆どの自殺者は死後に長く迷った後に再び生まれて前の人生よりも更に苦しい境遇に生まれる >>118
分解して観察すればいいだけ
自殺すれば解脱出来るなんて間違った考えが即身仏や補陀楽渡海に発展して行ったんだよ
心も部品の組み立てで成り立ってるだけで実体はない
こんなの基本だろうに >>120
仏是の心の、怯弱下劣なるを知しめして
方便力を以って、中道に於いて止息せんが為の故に
二涅槃を説く。(妙法蓮華經化城喩品第七)
仏が涅槃を盛んに説いたのは方便誘引のため
世の中が大変な時に「頑張りましょう」と元気に励ますよりも
「大変だねぇ…」と慰めた方が良いように
仏は衆生の心を安んじるために あえて自殺を美化した面がある
悲しい時は悲しい音楽を聴いた方が聴いた方が良い
という研究結果もある
うつ病と診断された人は健康な人よりも
「悲しい音楽」に好感を持ち、心を落ち着かせ
リラックス効果が得られる効果があるらしい
すなわち 自我の消滅 涅槃は衆生の心を取る方便に過ぎない
^_^ >>121
涅槃はほぼ自殺だよ
だから法華経では方便現涅槃という
^_^ 涅槃寂静
これはポア思想でもある…
仏教は一歩間違うと大変危険
^_^ 晃様、おはよう御座います。
悟りスレは
私がいなくても、
栄進主導で
スモール鹿野園(新興宗教の五井教祖がらみ)
も増え、
私がレスしなくても、
変なのだらけの学級崩壊的様相を
見せています。
さすがのワタシですら
レスする気が失せます。
どう思われますか? 参照
スモール鹿野園(新興宗教の五井教祖がらみ)の文章
0492 このスレは終了すますたおじさん 2021/01/10 08:43:42
このスレは終了すますた!
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ID:FJvvSo2X >>126,127
あいつがどうのこうのという縁起を切って
淡々と仏教について思うところこの自説を
展開するのが一番よい…でおーはこれが出来ない
^_^ >>128
逆に聞くが他のどこが仏教なのか?
消去法でこれしかないと考えている
^_^ >>129
ですから、晃様に下記の人物の仏教の評価判定をお願いします。
0494 神も仏も名無しさん 2021/01/10 11:45:09
>>493
馬鹿者が!おれが仏教そのものだ、戒律も証せんゲスよ精進せい!
ID:4baAD2t6
0114 神も仏も名無しさん 2021/01/09 04:06:13
>>113
君には縁が無かったってことか、あっしの知る限りにおいてお釈迦様は20世紀に2回降臨しています、
1回は戦後に五井昌久師へ、2回目めは80年代にバグワン・シュリ・ラジニーシへ、オーバーシャドウによって降りて来ています、
ラジニーシに関しては、『マイトレーヤ』という本にもなっていますので、アマゾンかまんだらけの海馬で扱っています、
ラジニーシに関してはチベット密教の高僧によって真実と認定もされているようです。
信じる信じないはあなた次第ってことで
1
ID:OzmCGllm
ID:nPX6pnhI
日本の宗教家。宗教法人白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)の開祖。祈りによる世界平和運動を提唱した。 >>130
じゃあ聞くが日蓮系では成仏とはどういうことなの? 火が燃えるようにやるより
水が流れるようにやるのがよい
^_^ 一法華経の行者に水火の行者の事
仰に云く総じて此の経を信じ奉る人に水火の不同あり、
其の故は火の如きの行者は多く水の如き行者はまれなり、
火の如しとは此の経のいわれをききて火炎のもえ立つが如く貴く
殊勝に思いて信ずれども・やがて消失す、
此れは当座は大信心と見えたれども・其の信心の灯・きゆる事やすし・
さて水の如きの行者と申すは水は昼夜不退に流るるなり
少しもやむ事なし、其の如く法華経を信ずるを水の行者とは云うなり云云。(御義聞書)
でおーのいう山伏思想は、火の信心だろうが
日蓮大聖人はそれを至高としていない 水の様な信仰こそ
大事だと語っている 火の信心はすぐに消える
^_^ 結跏趺坐(けっかふざ)
左右の両足を交差させて反対の腿の上に置く座法
趺坐、跏趺、全跏趺ともいう
これに対して左右の一足を反対の腿の上に置くのを半跏坐という
大智度論には、坐法の中で結跏趺坐が最も安穏で疲労せず
手足を摂持するので心が散じないとし
魔王はこれを見れば憂怖すると述べてこの坐法の利点を説いている
まじか?
^_^ 左右の足の上下の違いにより,意味が異なる
右足で左足を圧する形は悟りを開いたものの坐で
〈吉祥坐(きちじょうざ)〉といい
その反対の形は修行中のものの坐で〈降魔坐(ごうまざ)〉という.
吉祥坐はまた〈蓮華坐(れんげざ)〉ともいう.
悟りを開いたものは、左脳人間だった…?
^_^ いや結跏趺坐やってみたけど痛え!!
これどう考えても楽じゃないんだが…
あぐらの事だろ 結跏趺坐って…
^_^ 禅天魔だから一般に流布されてる禅宗の説は疑わしい
足は腿の上ではなく下に潜り込ませるべきだろう
^_^ >>149
不立文字、教外別伝が禅天魔
法華経よりも己心が勝れるとするから
この結跏趺坐の語りは法華経を第一義にした
枝葉末節の坐法の論議にすぎない
だから天魔の禅ではない
^_^ >>143
蓮華坐とも言うぞ
喩伽行では基本の坐法な >>152
これは間違ってる
絶対に体に悪い
^_^ 悟っていないバカ晃が言うバカである。大爆笑である。 晃とオフ会する夢をみた笑
あと、鹿野園がいた笑
バトルことなく、平和に会話する夢だ
オモロイ夢やったわ
笑 夢の中の晃は
小柄で目が細い奴だった
夢の中の鹿野園は、
中肉中背の南方系の顔立ちの
目が大きめの顔立ちが整ったやっただった
笑 そうか、
晃は小柄な
目が細い男だったか、
俺様は晃の世界を覗けるかもな笑、
晃と鹿野園が夢に出て平和におれたのは、
晃が思うほど、晃や鹿野園に敵意は薄いということやな、
晃、洞察力がなかったんだよ。 晃と仲が良かった栄進くんのレス
0500 栄進軍曹 2021/01/14 22:26:22
とりあえずイメージ(´・ω・`)
★最新のK1ファイター偏差値ランキング(仮)
偏差値:70以上
糖質
福音伝道(※出禁)
パーピマン
くろ(※出稼ぎ中)
晃(※流罪)
瑠璃色の光
プロフェッサーB
縁起派俳優
天空のシャウエッセン
ID:fI6DhlMO(92/9 悟りスレはキャラクターに依存しすぎている
晃は法を語りたいから新スレを建てた
^_^ 栄進に期待するのは
間違いと気付いてた分、
あきは進歩したな。
、 富士門流では五重相対が有名だが開目抄を見るに
日蓮大聖人は儒教を外道から独立させていたことが分かる
ゆえに晃は七重相対を立てたい すなわち
文武相対…文は暴力に勝る
外儒相対…儒教は一切の外道に勝る
儒内相対…儒教は仏教の初門
大小相対
権実相対
本迹相対
種脱相対
これが晃による七重相対
^_^ 五重相対とあまり変わらないが
内外相対を開いて三重相対を展開した
^_^ 又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。(開目抄)
これが 外道、儒教、仏教の相対を示す文証
^_^ 文武相対の文証はこちら
譬ば文武両道を以て天下を治るに
武を先とすべき時もあり文を旨とすべき時もあり、
天下無為にして国土静かならん時は文を先とすべし
東夷・南蛮・西戎・北狄・蜂起して
野心をさしはさまんには武を先とすべきなり(聖愚問答抄)
そもそも五重相対という法門を開くこと自体が
まず"文"であるわけだが、日寛上人の時代はまだ武家社会
武力の前にそうはいかない部分もあったのだろうと思う
今は文武どちらか?文が先行する時代だと考えている
^_^ 悟りスレが、
のぼせあがった、サーバントと栄進の
汚物スレと化している。
カカシですら消えた 栄進は、今や、コジ化しとる、
ほとんど荒らし
晃くんは、
あの栄進を信用しとったみたいだが、
晃くんの眼力も
怪しいものだったね。 うーん 文武相対は余計かな
時によって優先順位は異なるというし
六重相対で良い気がしてきた
^_^ 外儒相対…儒教は一切の外道に勝る
内儒相対…儒教は仏教の初門
大小相対…小乗より大乗が優れる
権実相対…権教より実教が優れる
本迹相対…迹門より本門が優れる
種脱相対…熟脱より下種が優れる
こうやな
^_^ 外儒相対
内儒相対 折伏
大小相対 ↑
権実相対←折伏と摂受の境界線
本迹相対 ↓
種脱相対 摂受
権実相対…ここが分かるか分からないか
が折伏と摂受の境界線のようにおもう
しかし日興上人は五老僧を本迹相対で破折した
五人所破抄に詳しい
^_^ 晃は思う いかに日興上人といえども
日蓮大聖人には遠く及ばない と思う
折伏と摂受の塩梅というか力加減は
日蓮大聖人の化導を手本とすべきであり
日興上人はその点で及ばなかったと見るしかない
ゆえに教団の分裂がおきた
もちろん日興上人の言うことは大筋では正義だが
身内に対しても厳しい折伏一辺倒がまずかったと見る
^_^ >>176
もっと日本語の勉強してくれ
莫迦過ぎる
デジタル大辞泉の解説
1 当事者どうしがさし向かいで事をなすこと。「相対で話をつける」
2 対等であること。対等で事を行うこと。
「―よりも少し自分を卑下したお辞儀をした」〈有島・星座〉
3 合意すること。互いに納得した上であること。
「男と―にて乳母に出でける」〈浮・織留・六〉
4連歌・俳諧で、前句に相対して同じ趣向で句をつけること。春に秋、山に野でつける類。相対付け。
[名](スル)
1 向かい合うこと。向き合っていること。また、対立すること。「難題に相対する」
2 他との関係の上に存在あるいは成立していること。
出典 小学館デジタル大辞泉 >>179
〈相待(そうだい)〉(相対(そうたい),apekṣa)を知らんのか?
^_^ アペークシャ(अपेक्ष [apekṣa])とは
相対的、比較的という意味
五重・六重相対でいう相対の意味は、比較対象により
優劣を見極めるということに他ならない
^_^ 但し謗法に至つて浅深あるべし
偽り愚かにしてせめざる時もあるべし
真言・天台宗等は法華誹謗の者いたう呵責すべし
然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし
(乃至)
軽罪の者をば・せむる時もあるべし
又せめずしてをくも候べし
自然になをる辺あるべし・せめて自他の罪を脱れて
さてゆるすべし、其の故は一向謗法になれば
まされる大重罪を受くるなり
彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なりとは是なり。(阿仏房尼御前御返事)
相手によって折伏すべきか摂受すべきかは
このように「法華誹謗」か?否か?にあると晃は考えている
権実相対を折伏と摂受の境界線とする文証はこれ
他門流でも同じ宗旨の者は手加減が必要なときもある
^_^ >>180
言い訳にもならん
精選版 日本国語大辞典の解説
?他タ四? (「あい」は接頭語) 「まつ」の改まった言い方。
※将門記(940頃か)「扶等陣を張り、将門を相待」
?名? 仏語。二つのものが互いに相対関連して存すること。長は短と、東は西とあい対してともに存するという類。⇔絶待(ぜつだい)。
※日蓮遺文‐開目抄(1272)「弘決云〈略〉相待絶待倶須(レ)離(レ)悪。円著尚悪」 意味が伝わらないわけでもないだろうに
ささいな言葉の定義で揚げ足取りするのは法四依に背く
^_^ しかも仏教ではなくて辞書を至極としてるのがナンセンス
ただの編集者の把握漏れなのに
^_^ >>180
頼むから言語を勉強してくれ 笑
2体・多体の数は,相対観念(apeksa-buddhi) に. よって,生じたり滅し ... 存するものとがあり,後者は相対観念(apeksa-buddhi)によって生ずる(SP 23)。 >>181
相対するというのは「あれがあるからこれがある」即ち縁起を別の表現で言い表してるだけ
ちゃんと読んで理解出来れば大小乗相対とは互いになくてはならない関係性だと理解出来る筈だが お前らは暴走族と同じで難しい言葉は知ってても地頭が悪いから その意味内容を理解出来ないんだよな >>187,189
富士門流の定義で話してるのに
その用法は違うと言われても困る
まさに語によりて義によらない
仏教の法四依を知らない 真逆の価値観
^_^ >>190
当門流の教化方法について述べている
^_^ >>184
語を重用して意義を理解してないのはお前な件 >>185
揚げ足取りじゃなくて意味を理解しないで誤用してるから指摘したまで
日本に近代まで輸入されて来なかったカーラーマ経で何事も自ら確認せよと説かれてるのに著しく反してる仏教知らずに 真髄を教えてやってるだけ >>186
辞書に仏教用語でこういう意味ですよと有るんだから違うというなら反証を出せばいいだけ
Wikipediaを都合よく引用してる自分を棚上げにして正規辞書の引用を咎めるのも極めて自分勝手で我が儘
我が儘も自分勝手も仏教徒を堕落させる内心の敵と心得るべし >>191
仏教一般の定義と異なる独自解釈をさも仏教で有るかの様に弁ずる症宗がおかしいだけ
読んでる人達が症宗の異常性を理解出来ればそれでよし >>193
仏教論のスレで仏教でないものを仏教でないと指摘してるまで >>194,195
五重、六重相対が分からんのはどっちだろうか
いま語ってる文章において語の定義は柔軟に変わる
それが普通 だから辞書には何通りもの定義が並ぶ
^_^ >>196
1 向かい合うこと。向き合っていること。
また、対立すること。「難題に相対する」
あるのに読み落としてるのはおまえ 文盲を晒してる
^_^ >>199
相対という用語に優劣の意味は無いんだから明らかにお前の独自解釈に基づいた誤用 >>200
対立する意味が有る事とお前がいう優劣の意味が含まれていない事は別の話
お前が言い出した優劣を表すと言う解釈が間違ってる >>202
相対性理論とか読んだことなさそう
^_^ >>203
対立した時点で両者に優劣がつくのは自明
^_^ >>205
優劣が着かないままに存在し合ってる場合が殆ど
完全な劣性なら淘汰されるのが自然の法則
優性は繁栄し 劣性は衰弱する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています