坐禅と動中の工夫4
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坐禅の仕方
一息を離さないようにして念が入る隙を与えないようにします。
しかし、いつのまにか一息から離れて念を追っかけてますので、気がつけば一息に戻ります。
良い念悪い念にかかわらずあらゆる念を切って行きます。
坐禅中、念を追っかけて気持ちよくなってるのは三昧ではありません。
どちらかと言えば意識はしっかりさせている感じです。
ですから寝てはいけません。
次の念、次の念が出る度に前の念が忘れて行きます、そして坐禅が終わったら何も残ってない感じになる事もあります。
また、念が認識出来ない、時折り念が出なくなる事もあります。
これが正念相続です。
坐禅を続けてますと色んな変化、気づきがありますがそれは結果でありそれに踊らされてはいけません。
あくまでも、「息を離さない様にそれに徹して行く」
これだけを一心不乱にやって行く。
これだけに徹していれば自分が望む所に勝手に運んでくれます。
動中の工夫
動中の工夫は坐禅の延長みたいなもので、坐禅の時と同じ様に今度は動きに成り切ります。
何もしてない時は坐禅と同じで息に意識を置き余念の入る隙を与えない。
歩いてる時は息ではなくメインの歩いてる事だけに意識を置き歩くに成り切ります。
ご飯を食べる時はご飯を食べるだけ。
他ごとを考えながら歩いたり食べたりしない。
つまり動作によって余念が入る隙を与えないようにします。
動作はゆっくりと丁寧なほうが良い。
動作に隙を作らない油断しない。
真剣に命がけでする。
今やってる事を一心不乱にやればいい。
自分から目を離さない。
動作を意識している自分があるじゃないか、と思われるかもしれませんが、続けて行くうちにそう言う自分がなくなります。
こうやって余念が入る隙を絶えず与えないようにして行きます。
そうすると四六時中、禅になります。
禅とは単を示す。
これだけをやって行く事が禅です。
菩提心を持ってやって行く、菩提心とは努力、忍耐、求道。
この道は 単を練る他 道は無し
単を練るとは今を離さないように、只、抜かりなくやる。 1.心理学をやっているバカである。
大爆笑である。 前のテンプレ気に入らなかったから今日中に消化しようと思った。
作戦成功だ。 カムイ君、さっきの回答なんだけど、具体的にはどういう風に同じかっていうことを、
説明できるかな? >>5
我がないのは当たり前として、この3つそれぞれの説明が、最終的に
付合しないといけないわけだよね?
3つを別々に説明して、あるいは、同時に3つの用語を使って、
最終的に整合性があるようにしないといけない。
そういう説明が出来るかな? たとえば、「縁起」の説明は出来るかな…?
一般的な説明ではなく、自分の言葉で説明できるかな? 縁起って知らんのよね
縁ならわかるけど
この世界は縁のみがある。
これが空だ。 いや、用語については知らなくても構わない。
では、「世界に縁のみがあって、それが空…」 ということは、
どういうこと? 塊がない、つまり全てにおいて実体がないものがある。 塊が無くて実体がないということと、「縁」という言葉は、
どのように関係してるわけ?
「縁」とはこの場合、どういうことを言っているの? 普通は実体があるから、あるとなる。
だけどこの世界は実体のないものがある。 >>18
その説明と、「縁」を結びつけると、
どういう風な説明になる? 縁によって宇宙が出来、地球が出来、人が出来た。
神と言うしかないやろ 右を向いたら右の風景の縁があり、左を向いたら右の縁は切れて左の風景の縁しかない。 二念を継がなければいいんだけど、今俺は一念が入る隙を与えない坐禅を心がけてるね。 では、二念を継がない方よりも、一念が入る隙のないほうが優れている? 雑念が沸いても、二念を継がなければ、不動心ということになる? もういいかな自分の意見は一切いわないで質問攻めでつかれた。 ok
また今度こういう質問をするかもしれない。
回答ありがとう 0988 カムイ ◆wxnBcJ8ZogOS 2021/01/03 20:08:38
毎日の坐禅って本当凄いわ
1ID:9DWjz8UH(62/68)
0989 カムイ ◆wxnBcJ8ZogOS 2021/01/03 20:13:16
ここまで差が出るとはな
ID:9DWjz8UH(63/68)
0990 カムイ ◆wxnBcJ8ZogOS 2021/01/03 20:24:16
俺の相手になる者はここには居ないが、どんどん差が出るのを楽しめる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています