抽象的というのは、「具体性」「個別性」を捨象しているのである。
論点がなぜ交換が可能なのかという点にあり
交換の構造を「労働」を抽象化することで紐解ているからである。

チョークと白菜はそもそも交換不可能である。
使用価値がまつたく別物であるからである。
しかし我々は「金」という交換価値で、さも当たり前のように交換しているが
そもそも「カネ」に何の使用価値もない。
最初は「塩」とか「米」とか使用価値のあるものが交換価値とされたが
「ゴールド」になり「紙幣」になり、今は「信用(クレジット)」が取って代わる
時代となっているのだが、交換できる「共通性」は何かを探究した時
「抽象的人間労働」という発見があったのである