前スレへのレス
544 名前:晃 ◆HOKKEvxAGE [南無妙法蓮華經] :2020/12/26(土) 02:21:57.88 ID:+mQ/fNob
>>531
自他不二という言葉で
自分と他者の境界をなくすという考え方は
和光同塵に通じるところがあるけれども 
それは所詮、優れた仏や菩薩が己の才覚を隠して
劣る凡夫に同じるわけで 結局のところ妥協だと思うんだが…

あと菩薩が大量の衆生を導いてるさまは 
法華経の地涌の菩薩に描写がある…

解脱した仏は蓮華座にあると聞くが それは泥水から生じても
その煩悩の汚れに染まらない という対比があり
栄養を泥水に依存しつつもコントラストがある という意味で
自他が異なることがすなわち対立である とも言い難いように思う

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取り敢えず大乗仏教の如来の基本像として

「スブーティよ、あなたは、どう思うか。
如来は、特徴を得たから、菩提を得たのか。
スブーティよ、このように、見てはならない。
特徴を備えたところで、菩提を得ることはない。」
「『如来が来る、去る、座る、寝る』
もし、このように説く者がいるならば、彼は、わたしが説いた、法を解してない。
というのも、如来は、普遍に存在しており、どこから来ることも、どこに去ることもない。
それだからこそ、如来と名付けられるのである。」
(金剛般若経)

一四 しかし如来はそれ自体としては空であるから、この如来については「死後に存在する」とか、あるいは「死後に存在しない」とかいう思索は成立しない。
一五 戯論(形而上学的論議)を超絶し、不壊なる仏をいろいろ戯論する人々は、すべて戯論に害されていて、如来を見ない。
一六 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。如来は本質をもたない。この世界もまた本質をもたない。
 ※では真実のブッダとは何であるか。それはわれわれの経験している世界にほかならない。 
(中論第二十二章 如来)


ということで、如来(仏)には特質がなく、我々が存在している世界の実相(真如)であると
実相は空であり分別というものがないので自他不二であるというのが大乗仏教