「1977年パリの共済組合会館に集まった伝統主義者グル-プが、隣接するサン・二コラ・デュ・シャルドネ教会に押し入った。突撃部隊のリーダーはコアシュ神父という、ボーヴェ司教区司祭で聖ピオ五世ミサを行うという口実で、11時半に集合指示を出し、サン・二コラ教会でロザリオを唱えた後、司祭と助任司祭を力ずくで追い出し、教会を占拠した。運動首謀者はマルタ騎士団フランソワ・デュコー・ブルジェ司祭であり、この老人がサン二コラ教会の司祭となったと宣言。暴力の嵐が吹き荒れた。極右の若者達が教会を占拠した側を守り、司祭館のガラスを割り、壁に復讐の文句を書き散らした。ルフェーブルはこのキリスト教徒らしからぬ行為をいさめるどころか、極右系の週刊誌ミュニットに、この反乱を支持する記事を書き、他の教会も占拠するように呼び掛けた。パリ四区サン・メリ教会やブザンソンのノートルダム教会が過激派の襲撃を受けた。」Bernard Lecomte「Les secrets du Vatican 」より