>>410
>>529の論文にもあるが六波羅蜜などの修行はする(ここには利他行あり)
また五階梯や五位と呼ばれる唯識の菩薩の修行もある
ただ「自未得度先度他」という意識はあまりないのかもしれないね

まあ、虚妄分別、我他彼此(自他の差別・対立)を滅していくに従って自他不二の方に流れ、菩薩の道を歩んでいくということになるんだろうね

菩薩がたとい無数の人々を解脱に導いたとしても、じつはいかなる人も解脱にはいったわけではないし、解脱に導いた菩薩がいるわけでもない。
(諸々の般若経)
この自他不二や一切空の思想は唯識にも受け継がれてはいる