>>920
>何故に釈尊は 色界第四禅定からニルバーナに入ったのか?

それは無色界禅定であっても禅定という状態を対象にしているだけだからね
空無辺や識無辺や無所有処を対象に禅定に入るわけだけど禅定に入ってる自分も含めて現われている状態という対象なんだよね
だから禅定が無色界禅定であろうと対象に対して禅定に入ってるに過ぎない
そしてアートマンやブラフマンはそれら対象ではなく対象が現れる側だから
んで色界第四禅定では自分は対象ではなく対象が現れる側になるからそこで十分なんだよね
それ以上の無色界禅定は色界第四禅定まで行けた修行者が残ってる概念を取り除くために入ってく禅定
一度もしくは何度か入れて概念や執着が取り除かれたらもう入る必要もないんだよね
正確に言うと色界第四禅定からニルバーナに入ったのではなく元々ニルバーナに入っていたけど現実という現象世界で自然と働いてる心身の働き(心身との同一化)を落していったんだろうね
その落していく工程が色界の禅定
心身の働き(心身との同一化)が落ちていき元々のニルバーナだけが残りつまり死んだ(ニルバーナだけになった)ということでしょう
ニルバーナは全てが現れる側だから元々一切は空でニルバーナしかない(マハルシなどが言うところの真我のみが実在である)とも言えるだろうけどね