>>145
まず和紙さんの疑問を整理するためにラマナの発言を二つ引用します。

書籍「あるがままに」から

サハジャ・二ルヴィカルパ・サマーディ
サハジャは「自然」を意味し、ニルヴィカルパは「違いのない」を意味している。
この状態にあるジニャーニは、普通の人々のように世界のなかで自然に
機能することができる。彼は自分が真我であることを知っているため、
サハジャ・ジニャーニは彼自身と他の人々との間にも、
彼自身と世界との間にも違いを見ない。
そのような人にとってはすべてが分割不可能な真我の現れなのである。


ブログ「アルナーチャラの聖者」から

彼は彼自身と他者の間のどのような違いも決して見ず、
『私の周りにいる人々は束縛や無知の暗闇の内にいるが、
私は悟った、または、解放された者である』という考えをまったく免れています。

続きます。