以前の日本には「あきらめる」という発音で「明らかにする」という意味の言葉と「断念する」という意味の言葉の二種類があった

大正もしくは昭和初期あたりで「断念する」の意味の方に「諦める」の文字を誤用そして慣習化

現在の日本人が仏教に使われてる「真理」の意味の方の「諦」の文字を見て「断念」の方の意味だと勘違い

こういう流れじゃないですかね