本来の意味の「諦観」
「諦観」はもともとは仏教用語。仏教用語としては「ていかん」ではなく「諦観(たいか
ん)」と読みます。仏教における「諦観(たいかん)」と「諦める」はほぼ同じ意味です。
そもそも「諦める」は「諦観」が元になった言葉とも言われています。本来の「諦める」
は「明らかに見る」こと。夢や目標、希望などを断念するという意味ではありません。
私欲や偏見、執着の心なしに物事を正しく見る、因果関係を見極めることが「諦観(たい
かん)」や「諦める」の本来の意味。このような見方をすることはとても難しく、これが
できること=「悟る」であると教えられています。
https://chewy.jp/businessmanner/29654/