本当は慈悲の瞑想はジャンプしないと入らないです
凡夫のσ(゚∀゚ )オレには慈悲はないんです
σ(゚∀゚ )オレ自身の幸せすら願えません

もう一人の自分には凡夫のσ(゚∀゚ )オレの幸せは願えます
何故なら自分が作ったものだから

この肉体からしか世界が認識できないという意味では自分=この肉体ですが
この肉体から認識できることは全て自分です
どういうわけかここからしか世界が開けていない
だから、凡夫のσ(゚∀゚ )オレの幸せを願えるということは
他者も、世界全ての幸せを自分の事として願えます

慈しみも苦しみも喜びも不苦不楽の平静さも、全て自分の事
それを言ってるのが>>2の詩ですね

本当の名前とは仏陀です
誰でも人のもう一人の自分は仏陀です(阿弥陀様でも涅槃でも空でも同じ)
その二重構造性です

ですから、無量光としての仏、阿弥陀様が、この凡夫のσ(゚∀゚ )オレに向けて言ってる言葉として
慈悲の瞑想を唱えれば良いんです、復唱です

>>280
無我ですよ