マインドフルネスPart.38
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※「反応してる」「妄想してる」など、単発他者評価レスで自己矛盾を人になすりつけるのはやめましょう。
※また他者批判のため「だけ」にレスをしないようお互い心がけましょう。
※「正統派マインドフルネス」とされるジョン・カバットジン博士
※またその源流である禅宗を尊重しましょう。
※(日本における)テーラワーダ理論はパラダイムの狭いものなので、あくまで参考程度に。
※大乗に包摂されるものという諒解でお願いします。
マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
当スレで採用するマインドフルネス瞑想の定義については、Wikipediaをご参照ください。
マインドフルネス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/マインドフルネス
『マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。
マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。』
マインドフルネス瞑想は、その源流となった仏教瞑想を越えて、広い範囲でマインドフルネスの名称が冠される状況であり、宗教、健康法、心理学の各分野に今や広い裾野を持っています。
当スレが話題の対象とする「マインドフルネス瞑想」は上記定義のものですが、それ以外のマインドフルネスを冠する技法や、
瞑想一般の話題、呼吸法、マインドフルネス状態を喚起する瞑想以外の方法についても、禁止ではありません。
単発IDであっても過剰な発言量にならないよう程々に情報交換しましょう。
また、感情的なレスのやり取りは周りにも迷惑ですので控えてください。
前スレ
マインドフルネスPart.37
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1601187845/ >>255
原理は同じであることは書いた通りで君の主張とは違う
またその過程でもたらすものは違うな
戯論止めような >>257
とっかかりの話をしてるのに、何で自分の思いの朴に話を引っ張ろうとするかな 戯論製造が止まらないみたいなんで
悪いが無視させてもらう
残念ながら全くそこまでの話に届いてない勘違いクンだった 「夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく,飲食(おんじき)節あり。」
(意訳)
「さて参禅するには----
(大体,参禅とは,この我をなげ出して坐禅に「マイッタ」と「降参する」ことであり,
つまり坐禅というカタチにすべてをまかせてしまうことであるが)
まず静かな所がよろしい。
食べすぎていても,腹がへっていてもよくない。」
つまりね、人間行き詰まって死ぬしか無くなった時に死んでもつまらないわけ
そうなる前から、坐像を狙うことを心得にして坐る習慣があれば
へたり込んで無条件降伏で坐ることが出来る
だからジャンプが起きてマインドフルネスの領域に行く
それは作為ではないよ、坦々と何も狙わずにやることだ
慈悲の瞑想も、他の瞑想も同じ
行き詰まりの絶望の受け皿を作るということ
数息観もラベリングも狙うものなんだよ
妄想を嫌悪し、妄想のない状態を渇望する、強い煩悩で対象にしがみついてるだけ
それを自動化しても形は失わない ところで山下さんのところはもう3年以上は
お弟子さんというか受講者というか
教えている人が何人かいると思うんだけど
結局預流果程度に目覚めた人は出たのかな?
それともこの段階までくるのが他と比べて
明らかに早いという感触とか
こういう集まりはそれまで
他のメソッドをやっていた人が殆どだろうから
純粋に山下メソッドがどうこう言えない難しさは
あるとは思うんだけど
ヨガやってた女性とか神父さんの話は聞いたこと
あるんだけど
他のメソッド経験者だから何とも判断しづらい
既存のメソッドの組み合わせだけど
その配分とか重点箇所の強調とか
そういうのが今までと違って効くんじゃないかって
話だよね? だからそういう言い方するなら、とっかかりとしては掌に注意を向けるのも呼吸に集中しようとするのも、妄想のない状態を渇望するとこから始まるだろ
とっかかりの作為を否定したら、何も瞑想なんか出来ない 山下さんのところも四向四果は関係ないと思うよ
心のお掃除モデルではないし 瞑想の構造を話すことに夢中になる人を作り出してるだけみたいな 数息観もビギナーズラックは起こるようだね
そこで取っ掛かりとはならずに、執着おこして300回も 仏教本を読むことに疲れてきたから
池田晶子さんの本買ってみたよ
なかなか興味深いし、マインドフルネスを仏教とは違う言い回しで表現してるから、気付かされることも沢山あるね。 私はティクナットハンさんと山下さんの本買いました。届くのが楽しみです。 ティク・ナット・ハンは言ってることがアスペ式マインドフルネスとだいぶ違うから、アスペ式マインドフルネスの信者の方は戸惑うかも知れない。 ティク・ナット・ハン 怒りの炎を抱きしめる Embracing the Flame of Anger
「腹が立ったときは何も言ってはいけません
何もしない方がいいです 自分に戻ってゆっくり息を吸って息を吐きます それを何回かして何か行動を起こす前に怒りの面倒をみてあげます これは平和の行動になります すぐに反応したりしないんです
自分の怒りの面倒のみかたを知っていればゆっくり呼吸しながら「今のはカチンときた でも別に反応して行動する必要はない」とわかりますし
「この人は今幸福でないからあんなことをしたのだ」と思えますからその人に対して思いやりを持ち微笑みます これは大きな勝利です」 慈悲の瞑想は作為ではないよ
作為では無い証拠に、ハマーン北川進撃のカレーパンは慈悲の瞑想が出来ない。
作為と思うならさっさとやればいい
苦手な人の幸せを願うとき、無条件降伏が起きている。煩悩を消した人でなければ、苦手な人というものはいるのだから。そこで抵抗感持ちつつも願えるなら、少しずつ無条件降伏が起こってきている
私、生きとしいけるものの幸せを願うとき、エゴが強化される対象が消えている。 そうなんですね、苦手な人の幸せを作為的ではなく自発的に思う時、
それが無条件降伏だと。 山下さんは仏教3.0を行なっていると思いますが、
心の問題を直そうとする働きが、仏教の力にもともと備わっているものなのか、疑問です。
仏教2.0が自分の心の問題を無視してとにかくメソッドを頑張ればよかったと思いますが
其れだと逆に心の問題が解決されず大きくなっていくらしいですね
つい最近思う事は、私がよく感じる毎日の小さな不安の数々のせいで、
自分らしさを発揮できずにおざなりになっているような気がするのです。
他人に迷惑のかからないほどの小さな不安なので生まれてからずっとそのまま過ごしてきました
でもそれじゃあいけないと思い、抗不安薬を処方してもらいつつ、
マインドフルネスを目指す、という方法はいかがなものか?やってみるとどうだろう?
不安が晴れて人間関係も多岐にわたるようになり瞑想もしやすくなるのか?
と思ったのですが、もしそうなった場合のシミュレーションを今しているところです…^^;
でも、なんだかそれは悪いことをしているような感じもするし、逆に
不安がおさまらない自分の手助けになるような良策、としても思えるわけです。 瞑想では、ハマーンが幸せでありますようになんて願いながら、普段はネットで
「ハマーンはウサに話しかけるなと言ってるだろうが!」
なんて発狂してんのか
瞑想オナニーやね 自分の好き嫌いで評価してるだけなんだよなぁ…
北川麻子
@rxNyQnGqmjzFyim
#スマナサーラ長老 式 #慈悲の瞑想 は 所詮自慰行為と私は主張しています。 脳波とかの効果はあるのでしょうけど やらないのは無慈悲の証拠とか言って 強要しないで #山下良道 ワンダルマSO 気色悪いから >>274
嫌な奴の幸せを願うのはなかなか苦しい
でも相手を憎む憎しみを抱えて生きることが自分をとても疲弊させていたんだよね
だから自分を大事にしようと思って慈悲の瞑想してる
私が幸せでありますようにと願ってるよ >>275
不安に伴って現れてる体の感覚をよく観察してみて下さいね
感情や記憶でなく
感覚が去るまで観察は言葉は用いず、自然に呼吸をします
なんなら目を閉じてもいいです
2.0は心の問題の原因の分析、心のお掃除です
1.0, 3.0は本来清浄なもうひとりの自分がいるよね、ということです 1.0と3.0は無我ではないんですね
もう一人の自分ということは、清浄であるという違いがあるだけで
全く同じ姿かたちをした自分という存在がもう一人いると 本当は慈悲の瞑想はジャンプしないと入らないです
凡夫のσ(゚∀゚ )オレには慈悲はないんです
σ(゚∀゚ )オレ自身の幸せすら願えません
もう一人の自分には凡夫のσ(゚∀゚ )オレの幸せは願えます
何故なら自分が作ったものだから
この肉体からしか世界が認識できないという意味では自分=この肉体ですが
この肉体から認識できることは全て自分です
どういうわけかここからしか世界が開けていない
だから、凡夫のσ(゚∀゚ )オレの幸せを願えるということは
他者も、世界全ての幸せを自分の事として願えます
慈しみも苦しみも喜びも不苦不楽の平静さも、全て自分の事
それを言ってるのが>>2の詩ですね
本当の名前とは仏陀です
誰でも人のもう一人の自分は仏陀です(阿弥陀様でも涅槃でも空でも同じ)
その二重構造性です
ですから、無量光としての仏、阿弥陀様が、この凡夫のσ(゚∀゚ )オレに向けて言ってる言葉として
慈悲の瞑想を唱えれば良いんです、復唱です
>>280
無我ですよ >>280
> もう一人の自分ということは、清浄であるという違いがあるだけで
> 全く同じ姿かたちをした自分という存在がもう一人いると
違います >>282
じゃあ、もう一人の自分ではないということですね >>285
言葉で説明できないことを掲示板に書き連ねるのは何故ですか >>286
本当にマインドフルネスの実践者なら十分通じるでしょう >>287
「もうひとりの自分」という表現で誤りなく正確に言い表せてるんですか 言葉に出来ないことを言うなと云うならば
お釈迦様も言葉に出来ないことを伝えようとされたよね >>274
真に自発的に思えるときは既に苦手な人ではなくなってるかもしれません。
そこまで極端にどちらかにポジショニングする必要はないです。
苦手な人の幸せを慈悲の瞑想で願う時、
願いたくない自分と
心から願っている自分の両方があらわれているのです。
願いたくない99%
真に願う1%
くらいかもしれませんが、
この1%は既に作為ではない、無条件降伏ということです。
作為では心で舌を出しながらやるのも無理です。
舌を出しながらでも始めれば、もはや無条件降伏がごくごく僅かながら起こっています。 >>290
野良さんも「もうひとりの自分」と聞いて、自分と同じ姿をしたもうひとりの自分を想像しないと思いますか >>293
>>281で説明したとおり
>>294
言葉で伝えようとしたから、弟子に書き残すように言い遺したでしょ
>>295
それがもう一人の君ですよ >>280
本来清浄な人の形をした別の自分が居る
なんて1.0には書いてありますか?
ともあれ、そこにならなければマインドフルネスなんかありません
必須事項です >>296
・>>281の説明を読んで仏陀だ阿弥陀だなんて聞いても、思い描きを作るだけですよね
・書き残したのは、弟子が集まって勝手にやったことでは
・「君」や「自分」なんていう個別性を表現した言葉が似つかわしいものなんですかね
>>297
「もうひとりの自分」という表現は、ものすごく誤解を呼ぶ表現では >>298
君のエゴにとってはそうなんでしょうね、としか言えませんが…??
お釈迦様は弟子たちに覚えてる教えを書き残すよう言い遺してますよ もう一人の人間がいて、そいつが清浄な自分だ
どこにそんなこと書いてないのでね…
1.0のどこに書いてあるか教えてもらえませんか?
早く
で、万が一その誤解をしたとして、何なのだろう?
そんなもの思い描いても瞑想深まらないし、ちっとも苦から開放されないでしょ
「あーこういうことじゃないんだ」と気づくでしょう
当たり前な話が:D
戯論だなぁ… 無駄にレス流れるのでこのへんで
既に書いたことでわからないならば「自分にはわかりません」でいいでしょう
マインドフルネス実践してるならわかります
必須なので
ピンとこないならマインドフルネスになってないです >>300
1.0に書いてあるのではなく >>279がそう書いている
そういう誤解をさせるような表現を野良さんみたいな人に向けてするのは誠実ではないのではと思ったので
山下良道言語そのまま使って山下良道気取りでカッコつけたつもりなのかも知れませんが ちなみに、口伝でつたわってきた仏説が初めて書写されたのは紀元前一世紀頃というから、仏陀が亡くなってから400年?くらい経ってるようなんですが、その時まで弟子達は仏陀の書き残せという言葉を無視してきたということでしょうか 忘れない内にメモ
「アッギヴェッサナよ、わたしは次のように思ったのです。
『しかしわたしは、釈迦族の父(浄飯王)の種蒔祭のときに、
涼しいジャンプ樹の木陰にすわり、欲望をすでに離れ、不善のことがらを離れ、
粗なる思考と微細な思考をまだ伴ってはいるが、
遠離によって生じた喜楽のある初禅(※)を成就して住んだのをよく覚えています。これがじつにさとりにおもむく道ではなかろうか』と」
※「初禅」の註
K.R.ノーマン博士によれば、当初すでに四禅定の階梯はできていて、
この樹下観耕での瞑思が初禅にあたることを、ブッダは出家後に知り得た
瞑想の階位に照らして、そのように了解したのであるとする。
『原始仏典 中部経典T』(春秋社)第36経「マハーサッチャカ経」 訳:平木光二氏
https://gamp.ameblo.jp/nibbaana/entry-10940772854.html
この話はあちこちで見かけたから、有名な話だと思っていた 王子には春・夏・冬用の三つの別邸があり、季節ごとに狩猟や音楽(主に女性たちが踊るショー)を
楽しめるようになっていました。王子が寂しくならないようにとの配慮からです。
しかし、父王に従って農耕祭に参列した際、ある出来事に王子は衝撃を受けます。
仏伝によれば、十二歳の春に父王主催の五穀豊穣を祈る種蒔き祭がおこなわれます。
シッダッタが地面をじっと見つめていると小さな虫が現れます。
すると、小鳥が襲ってすぐに虫を啄ばんでしまいます。
と、次の瞬間に大きな鳥が飛んできて小鳥を襲って食べてしまいました。王子は思いました。
「瞬く間に命が次々に失われた。生きているということはいったい何なのか。
なぜ生き物は生き、そして死ぬのか」
「この世は地獄だ」と思ったと書く仏教解説書もあります。それからは閻浮樹(桃の木の一種)
の下で瞑想をすることが多くなったといい、これを樹下観耕と言います。
王子は子どものころから瞑想を好んでいたと仏伝は言いたいのでしょう。
http://blog.livedoor.jp/taktag555-0216/archives/7297994.html
>>304も自分
こっちは出典が書いてないが、自分は十三歳の頃の話として書かれてるのを読んだことがある
藤田一照さんのレクチャー録のページにも書いてあった(今朝は発見できなかったが)
十六歳で結婚する以前の事なのは間違いない
ともあれ、そこから悟りまで二十年くらいかかってるということだ >>278
心の浄化に慈悲の瞑想は効くんですよね。
思い方の癖を、慈悲の瞑想で治していきたいです。 >>279
はい、不安が起きたらそのようにしてみます! そもそも思い描かせるのが悪いというのならば
世間に流布されているあらゆる仏教書は悪いということになる
何故ならジャンプなしにそれらを読んでも思い描きにしかならないから
仏弟子が勝手にやったことだと言うならば五百人の阿羅漢は悪人ってことになる
それを悪くしてしまうのは読む人自身なんだ
話が逆さま
遊びでそんなこと言うのは止せ
それこそが悪い 言ってないよ。
大迦葉が結集を呼びかけた時点でないものが、その後にあるわけがない。 >>306-307
浄化モデル、癖を治すモデルで考えると自責の気持ちを強めるかもしれません
もう一人の自分でしか慈悲は願えないので…
けれど微炭酸はもう一人の自分が現れてきてるということですから
よくそれを観察なさってくださいね(^^) >>310
「誰が」「何を?」言ってないと言うんだね
言いたいことは伝わるように言おうとしたらどうかな
ドロンジョは良くその様にするが
スルーしていいかな? 色と名の区別がわからない。
そこにある物質は色だが感じている神経は名なのか?
それとも神経も色でそれを感じていると念ずる、受け取ったものが名なのか??
機械のセンサーが色でソフトフェアが名なのはいいがならその間の電気回路はどちらなんだ? >>313
わからなくて全く構わないよ
どうしてもわかりたければテーラワーダスレに行って >>313
>電気回路はどちらなんだ?
自分で答えに辿り着くあるよ。 色受想行識のうち、どこからどこまでが色なのか。
受はどっちなのか?と。
それを知識で知ったとしても、それが名色分離智慧ではないからね。 身体の視神経が色だとして、たとえば睡眠中に夢を見ている時の、その視覚はなんなのか。 そこを細かく分けるからね
でもそんなこと全く本質的ではないからどうでもいいよ アスペさんはこのスレを自分のTwitterアカウントみたいな使い方してるよな
そんな使い方するならTwitterでやりゃいいだろと思うが
こんな人みんな嫌うから誰もリプなんかしてこなくて
5ちゃんみたいに無職の暇つぶしも出来なくなるか お掃除テクニックがいくら上がってもばらばらにしてしまうだけ
そこからゴミのないところに行くことは、お掃除テクニックとは別のこと お釈迦様が弟子たちに経典を残せと言い遺した、というのはネットで探したが見つからないな
忘れた頃ひょっこり見つけると思うが、その真偽は議論の本筋ではない
言葉の解釈は全て思い描きに過ぎない危険があると言う話なのだから
経典も散々誤読されてきた経典を編纂したマハーカッサパ以下
五百人の阿羅漢は悪人なのか?という話になる
バカバカしい
二十世紀に第六結集があったという
テーラワーダ勢はそれを踏まえていることだろうに
般若心経が間違ってるという長老がいるんだよな
つまり読めてないってことだ、情けないことだな、全く
それなら第六ケツジュウも真理を捉えそこねた無駄話ってことじゃないか
一歩手前までは読めているかもしれないが、某長老はその意味が読み取れては居ない
大誤解している
パンピー向けのテーラワーダ系の本の殆どには最も肝心なことが書いていない
書いてあったとしてほぼ重要視されていない(片山本は未チェック)
そこを押さえたなら般若心経、大乗は決して「奇妙」でも「間違い」でもないんだよ
そういった有様を見てきているので「無条件降伏」「ジャンプ」が気に入らないなんぞ
言われる義理はないと思うんだよな
ジャンプ抜きには、十六観智だろうが菩提分法だろうが単なる文字情報であって
何も意味をなさないな またアスペ・シッタカダさんが、テキトーなシッタカをしてしまったのか……。 般若心経の重要さが理解できないって
無我まで辿り着いてないじゃん
自分の行為は自分でやってるって思い込みのまま生きてる証拠
少し前にも書いてたけど、ジャンプなしには山下さんの本も意味がわからないと思うよ >>323
幡ヶ谷行って直接言ってこいや
ちんかす 片山一良先生のことだけど
春だったか、片山さんの弟子と名乗る方が居たのでお名前を知ることになったが…
駒沢の先生なので澤木老師と縁があるかもしれない
もし、澤木、内山、山下の見地から見たパーリ三蔵(第六結集)翻訳ならば
仏教史上に画期的なものになるのは間違いないと思うので
気になってるんだよね
図書館にあれば借りてみるけど
>>325
二重構造が通じるか通じないかということだね…
>>326
相手にされない:D
あの人のサマーディ周りの説明はかなり怪しいし、それで固まってるし
もしも相手して貰えたとして水掛け論になるだけ
意味ないね 「あんたの神通の説明は出鱈目じゃないか!」
で行ったら「ゴメンナサイ」させられるかなぁ…
完全に間違ってるし:D:D:D
何であんな下手くそな説明したんだろうか?:D
けど、言葉のケンカならあの人は強いでしょ
駒沢で博士だし、パーリ経典も暗唱してるし
んで、すぐキレるし:D
もし、こちらの主張が受け入れられたとしても、彼のやり方を変えることはないなら意味ないし
ありえないでしょ
論争に勝つためにやってるわけではないのだから
言い訳でかっこ悪いのは承知してるが
>>326
まんかすのお前はカチ込んだんかい? >>329
君の目には「イキって見える」、、だけが事実なのでは 魚川「一見奇妙であることをスルーしてはいけないと思います」
山科 「ま、それはね!はい、それは、はいはいわかります」 しかし魚川は未だにポイント押さえてないのかねぇ…
押さえてたら改訂版出さずにはおれないと思うけど たとえば対談の中で例に挙げている「『大乗の奇妙さ』という小見出しがあるから、『仏教思想のゼロポイント』は大乗批判をしている」などという解釈は、英語の "even though……, 〜" とか、"yes (of course)……, but〜" とかいった表現で、いわゆる従属節の "……" の部分だけの内容を読んで、主節の "〜" を読まずに「解釈」をするようなもの。いや、より実際に即して言えば、従属節の "……" だけでさえもその全体を読むことすらせず、その中の一単語だけを抜き出して、そこから受けた印象だけで文章全体を理解したつもりになるようなもので、全く「読解」と呼ぶには値しない、「児戯」と評するのも児童に失礼なレベルの行為である。
https://note.com/neetbuddhist/n/n93794ca942f0 ポイント押さえてたら「一見奇妙」でもなんでもないからね… 旧山下スレ住人でポイント押さえてる人、、、ゼロポイント(*´艸`*) >お釈迦様が弟子たちに経典を残せと言い遺した、というのはネットで探したが見つからないな
忘れた頃ひょっこり見つけると思う
発達障害…… 児戯以下の読解力もない読解力ゼロポイントのアスペ・シッタカダ尊師 >>328
押しかけ問答する必要ないよね
僧侶なら自ら気が付かなくちゃ意味ない
エゴを強化させてしまったら気の毒(^q^)
スマナの門下は気の毒だけど、縁もあるから。
何が勝縁になるかもわからないしね(^q^) 「息を吸いながら、息を吸っていることを知る。息を吐きながら、息を吐いていることを知る」の言葉を、「吸っている、吐いている」のように短縮してもかまいません。呼吸しながら心の中でこのように唱えれば、集中の助けになります。
ティク・ナット・ハン
『ブッダ〈呼吸〉の瞑想』 >>340
年の功で丸め込まれちゃったりして(^_^;)
一照さんなんかベタ降りしてるんだから(^_^;)
2018年末だと思うけど、12/30に一法庵にカチコミかけると言ってたアンチがおってな
山下スレで散々決意表明していたが、中止したらしい
結局、何を言いに行きたかったのかよくわからなかったし
何だったんだろう…:D
通報すりゃ良かったかなと 「戯論」パパンチャ(papañca) = (排除すべき)妄想 とだけして、そこから受けた印象だけで全体を理解したつもりはどうかと思うのですよ >>342
あなたのオチンポをしゃぶらせて下さい!一生のお願いです!オチンポがないと生きられない体になってしまいました!オチンポのチンカスを味わうのも趣味です!僕のオチンポはチンカスがとても溜まっていてイカ臭いですが宜しくお願い致します!
http://imepic.jp/20201013/403770 そもそも、魚川の本を真理探求に使ったら「はずだ論」になってしまうだろ
これわかってるかな…?
彼は学術的に言葉の論理的な繋がりを検証しただけで、その解釈が真理であるとは
彼自身考えていないだろうと思うよ
読者にリテラシーがあればその様に読めるんではないだろうか
ドロンジョやマインドフルさんはあれを第四図、第五図の仕組みだと思ってるだろ?
(マインドフルさんは第四図、第五図という言葉は知らないかもしれないが)
彼は出世間への地図だと思ってるよね
違うよ
何で修行中途半端な魚川がそんなこと示せると思うんだね
文献から学術(第四図)的に言えることを整理してるだけだ
そういった捉え方、考え方から出てくるものが仏法であると考えるならば全て戯論だ
どれだけ壮大、緻密であっても、世間に常識化されていようと戯論だね
それを展開させるために坐るなら思い計らいだし
その展開で行われてることが「実体視」だ
まあ、言葉の定義なんかどうでもよくて、そういう思考を止めたほうがいいよ
ってことが言いたいわけ
言うと面白くないのはわかるが、ジャンプ起きなきゃわからないんだよ
仏教、禅、マインドフルネスはそこからしか理解できないようになってる
だから、毎朝坐ってるなら結構なことで
ただ坐ってればいい、只管
爽やかに(坐禅に)無条件降伏すればいいじゃないか 坐る時にプライド捨ててないからジャンプしない
整ったら坐るとか意味わからん、、、
それ逆だから >>342
注目集めたかっただけなのかも(^_^;) ここまでレベルが低くて誰一人声のでかいやつから悟りや高貴さを感じないスレも珍しい オウムスレが精神世界の最底辺だと思っていたけど、ここで同じ水準のものを
目にするとは思っていなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています