数息観とか、呼吸に集中することで妄想に持っていかれないように頑張る
というのは
よくある説明なんですが…

例えば、念を定める、念が定まる、見事、なんて言ってるのは
「やっと妄想振り切ったぜ、、フゥ…」程度の話なんです
そこにはまだシンキングマインドがバリバリに残ってるので
集中を手放したらまた妄想フルネスで持っていかれるんです
それは瞑想ではなくただの過集中です
頑張りで目指す瞑想ですね

道元禅師は数息観を否定し、無条件降伏で坐像を狙えといったのも
それを避けるためだと推測しています